愛して欲しかった。
大切だよって抱きしめて欲しかった。
そんな、優しくて温かな『当たり前の家庭』は自分にとって、ずっとずっと遠い国の物語のようだった。
知りたくなかった。
自分が『かわいそうな子』なんだなんて知りたくなかった。
想像の中の、優しい世界。
キラキラと輝いたその殻に籠もれば、傷つかない。
だって、自分には関係ないことだから。
でも、そうじゃないと手を伸ばしてくれた人がいる。
その人のことを、忘れる事はきっとない。
オレにとって、初めて友達になりたいと思った相手で、
好かれたいと思った相手で、
初恋の人で、
「だって、」
大切なもの失うことも、
変わることも、
忘れることも、今日、取り戻しに行こう。
だって、
「オレ、 お前に好かれてーもん。」
ヒーローは、必ず宝物を手にして帰ってくるのだから。
「アホ竹ーーーー!!!!」
浜あすなろ高校。
HAMA最大のマンモス校であるその学校に、声が響き渡った。
「?」
その声に聞き覚えはある。誰の声か。それはあく太の友人である久楽間潮の声だ。
返事をしようとする前に別の人間の声が聞こえた。
「あく太!!!!」
勿論その声も聞き覚えがある。
あく太の昔馴染みであり、友人である斜木七基である。
昼休み。
雪風手作りの弁当を食べて、中庭にカメラ片手に飛び出していた。
珍しい。二人が仲良く一緒にいるだなんて、と思ったが、ああ見えて実は仲の良い2人が一緒にいるのもおかしくないか、と考えを改めながらあく太は声の方へと振り返る。
「潮ーーーーー、七基ーーーーー」
どったの?と明るく返すあく太の声に
「『どったの?』とか何、暢気な声出してるワケ?どういう状況か解ってる?」
「んん?」
潮に言われても解らない。
確かにあく太は様々なところで騒動を起こしてはいるが今日は特に何もしていない。廊下を走ったり、階段を飛んだりということはしているが、それでも二人が走ってくるような問題は起こしていない筈だ。
「ちょっと、あく太は何も知らないんだからそういう言い方はないんじゃないですか」
「悪いけど、パンダは黙っててくれる?今は一々反論してる時間の余地がないって解らないわけ?」
「はぁ?それはそっちのことじゃないですか?そんな事言ってる場合じゃないってキミこそわかってる?」
あ、なんか仲良く喧嘩し始めた。
あく太としては別に二人が仲良く話していても特に構わないのだが、聞く話によるとそういう場合ではないのではなかっただろうか。
こういう時、仲良し五人組こと五十竹組であり、昼班、またの名をDay2の残りのメンバーの季肋か宗氏がいればいいのだが、残念なことに今は二人は一緒にいない。
「そんで二人は何しにきたん?何か大変なことがあったって言ってたけどもしかして、何か面白い事が起きたとか?あ、季肋と宗氏がいないのは
「「季肋!!」」
あく太の口にした仲間の名前に二人が喧嘩から意識が戻ってくる。
「ん?季肋が大変な事になってンの?」
「そうだよ!」
「え、えええええええ~、ならこんなことしてる場合じゃねーじゃん!!」
「くっ……アホ竹に正論言われた」
「……うっ…」
「っていうか、何が起こったの?どこに季肋がいんの?」
いつもなら、ポジティブジャンプで大丈夫だと、あり得ない事が起きると考えるあく太だが、それはしないと季肋と約束したのだ。
現実と向き合い、二人に尋ねる。
「それが―――――
七基から出た言葉にあく太は走り出す。
「アホ竹!ちょっと、一人で行くなっての!」
あく太の背中を慌てて潮も追いかける。
マンモス校である浜あすなろ高校の屋上へと一階から屋上まで全速力で駆け抜ける。
そんな二人の後を、七基も必死で追いかける。
だが――――
「……ちょ、待って……」
体力のない七基は三階についた瞬間に息苦しさで足を止めてしまった。
ハァハァと息継ぎが難しく、今にも倒れそう、というよりは半分倒れかけて青白い七基を余所に二人は屋上への扉を開けた。
「季肋!!」
どこまでも高い秋の青空。
そこへと向かうことを遮るフェンス。
屋上の真ん中に、あく太の声に振り返る黒と紫。
「五十竹」
あく太にとってはどんな音楽よりも綺麗な音で、安心するこの世界でたった二つしかないうちの一つの声が耳に届いた。
それが何でも無い時だったらあく太は笑って返せただろう。
けれど、季肋の前にいる三人の人物に笑う事は出来なかった。
彼らに覚えは充分すぎるほどある。
「ちょっと、何してんだよ」
「……別に……特に用事はないけど」
関口、森田、鵜川である。
あく太のクラスメイトであり、イジメの主犯格。
フィーチャーツアーによってあく太へちょっかいをかけることはなくなったとはいえ、その事実は変わらない。
あく太自身へのイジメは特に気にならなかったし、適当に交わせばいいものだった。
けれど、季肋に対してはそうはいかない。
特に関口は事故とはいえ季肋に骨折をさせられた相手だ。
難癖をつけて三人で季肋のことを攻撃してもおかしくない。
あく太はかつて自分が季肋に守って貰ったように前へと出る。
その様子に関口達は顔を歪めた。
怖がっている、というよりはまるで驚いているような表情。
何故そんな顔をするのかはあく太は解らなかった。否、理解する必要もなかった。
頭の中にあるのは季肋を守る、ただそれだけだった。
あく太の様子に怯む三人に追い打ちをかけるように
「へぇ、用事がないのにわざわざこんな人気のない連れて行くわけ?」
「げっ……」
「好青年」
「……」
その言葉は知ってる。意味は解らない。けれど、潮を侮辱する言葉だ。
あく太は自分の体中を血が逆流するかのように熱く感じた。
まるでマグマのようだった。
勢いに任せて口を開こうとする前に、
「誰が好青年だ?」
「……っ」
「殿」
「―――副会長」
潮の後ろから見慣れたヘルメットが現れた。
「……むーちゃん」
短い付き合いではあるが、密な時間を過ごしていた。だからこそあく太にも解る。
自分以上の怒りを宗氏が感じていることに。
ゆっくりと彼の足が屋上の床へとつく。ただそれだけの動作だというのにまるで地球の重力が変わったように感じた。
「斜木から三人がここにいると聞いたのだが」
「……」
今度こそ三人の顔がくしゃりと助けを求めるように歪んだ。
「……衣川」
「輝矢」
「『本当に何もなかったのか』」
「……えっと…」
季肋は一瞬考えるように空に目を向けて、それから頷いた。
「……うん……なにも、なかった……」
その動作が、何かあったと言う事は解る。
だが、それ以上は聞かないで欲しいという意味でもあることを。
「そうか」
季肋の返事に宗氏も頷く。
「衣川に感謝するといい」
その言葉に三人はハッとして、それから小さく舌打ちをしてから「行くぞ」と去って行く。
「季肋!」
三人の事など気にすることはなく、あく太は振り返り季肋に手を伸ばした。
「本当にダイジョーブ?何かされてねえ?」
「うん、大丈夫……ただ、話を……しただけ…」
「話…?」
あく太が首を傾げると季肋は微笑む。
「それにしても……みんな、どうしたんだ…?」
「潮と七基に聞いたの!そんで走ってきたんだけど」
「……むーちゃんはどうしたの?」
「ふむ、僕は――」
荒い息と、たどたどしい足音が聞こえた。
「斜木に聞いた」
「……ぁ……はぁ……あれ……終わった…?」
「とっくに終わりましたけど?」
「な……ぅ……」
一足遅いんだよ、という嫌味しかない返答に言い返したいようだったが、体力が切れている七基は言い返す事は出来ずに屋上の扉に持たれかけて息を整えようとしていた。
「七基、体力なさすぎねえ?」
「本当。パンダ、なさすぎ」
「……っ」
「ふむ、研修の時もバテていたな、しかし僕も体力には自信がない。一緒に特訓を――――」
いつも通りの会話。
いつも通りの日常。
だからこそ、いつもならここでフォローを入れる季肋の言葉がないことを不思議に思って見つめた。
「……季肋?」
「……」
季肋の灰紫色にあく太が映っていた。
あく太の緑色にも、季肋が映る。
当たり前のこと。
それが、何故か、あく太の心臓を早めた。
時間にしてたった30秒の出来事。
映画のワンシーンのように、けしてドラマティックでもなんでもない出来事が、あく太の心を捕らえて離さなかった。
手にしていたカメラの中の映像よりも、ずっとセンセーショナルだった。
それから、寮に戻っても、それは止まらなくて、季肋を見てるとドキドキする。
なんだこれ?
もしかして、季肋が何かしないか俺、無意識に疑ってるわけ?ないない、そんなわけねーじゃん。
じゃあ、銀河的映画カントクの勘で季肋に何か起こるって勘??
「……っ!」
そこまで考えてあく太の頭の中で天啓が……
って、そうじゃない、とあく太はウル太を見た。
「ウル太……」
季肋がくれたあく太の友達。
ネガティブにも、ポジティブにもなりすぎないように見張ってくれる、大事な存在。
でも、今のあく太の感情はネガティブでも、ポジティブとも違う気がした。
わからない。
遠い昔、自分が捨てた感情なのか。
それとも、新しく生まれたモノなのか。
「……」
心臓を鷲掴みされたように苦しい。
頬が暑い。
「……五十竹……?」
「……へ?」
「いない……と思ったらいて……静かで……具合、悪い?」
「っ…あ…ぅ……」
季肋の細長い指があく太の前髪を掻き分ける。
まただ。
あく太の緑の双眸と、季肋の灰紫が合う。
「あ……あ……」
「五十竹?」
元々、季肋を見ていると胸がぽかぽかと温かくなっていた。
大好きなおじさんと一緒にいる時のような、
けれど、今、あく太が感じているのはそれとは違う。
血が沸騰しているように熱い。
嬉しいはずなのに、泣きたくなる。離れて欲しいのに、もっと触れて欲しい。
アカデミー賞の映画を見て、絶賛したくなる時と似ているようで、まったく違う。
「五十竹……っ」
「え?」
「鼻血、が……」
「あ、あれ?」
難しいことを考えていたからなのか、別の理由からなのか、鼻血が流れていたことに気付かなかった。
「っ……うわ、やばいやばい」
「五十竹、ティッシュ……」
「やば、一触即発!虎尾春氷!重卵之危!断崖絶壁!燕巣幕上~~~~!!」
「……」
ああ、どうしよう。季肋が困惑している。
けれど、あく太の思考はショート寸前、パニック状態だった。
だというのに心臓だけは鼓動が早くなって止まることを知らない。
「……」
そんなあく太を見て不安に思ったのか、いつものように季肋が指人形達と話を始める。
「……」
ぶつぶつと会話するその声はいつもなら耳に届くのに、今はとても遠い。
「……五十竹……」
「うん?」
「その……明日の土曜日……鹿さんのお手伝い……」
ぼそぼそと話しながらも、あく太の鼻に宗氏が教えてくれたようにティッシュを詰めてくれる。
「あ、そっか。花文字?だっけ?」
「うん……」
「そっか」
それだと、季肋と次の休日は遊べないのか。
そのことに残念なような、安心したような不思議な気持ちにあく太は陥る。
別にいいじゃないか、大丈夫。そう思っていた。
「そ、それで……」
「うん?」
「お手伝い、終わったら……」
季肋が一度、床に視線を落とす。けれど、決意したように顔をあげた。
「……一緒に、出かけよう」
「……」
ただの遊びの誘い、だというのに、あく太の心臓は跳ねる。鼻血は溢れる。
「――――うん」
忙しいと断ればいい。
でも、口は勝手に返事をしていた。
嬉しくて、走り回りたい。でも、動けない。
理由なんてわからない。
沢山の、どうして?が頭を占める。
『嫌なことから逃げずにきちんと自分の感情と向き合わないと―――』
わかってる。
わかってるよ、おじさん。
でも、この感情の名前を、オレ、わかんない。
あく太は大好きな叔父に語りかけた。答えはでない。
答えが出ないまま、結局、あく太は約束の日曜日を迎えてしまった。
まぁ、一晩しか経過してないから当たり前なのだが。
「どうしよう、どうしよう、どうしよう……」
約束の時間まで気がつけばもう少し。
待ち合わせの場所は3区。
何をしたらいいのかわからなくて、でも、とにかく会いたくて、逃げ出したくなくて、心臓と同じように足が速くなる。
待ち合わせまで時間はある。
あく太はどうしたらいいのかわからなくて、季肋のことが気になって気がつけば4区に来ていた。
「……」
どうして自分はここに?
いつもなら、季肋を驚かせたいから!とか、やっぱり人生にはシゲキがヒツヨーフカケツだから?とか言える。
でも、わからない。
ただ、会いたい。
朝あったばかりなのに、なんだろう。
会ったら、また心臓が苦しくなるかも?
そう思うのに、足はただ動くだけ。
「……」
一度来た事あるので、季肋が手伝っている場所は知っている。
「……すげ……」
そして、その人気っぷりも。
季肋だけの客というわけではないだろうが、とんでもない行列。
嬉しい。
季肋がみんなに正しく評価されて。だというのに、何故だろう。以前なら飛び跳ねて自慢したくなる気持ちだったものが、今は全然違う。
嫉妬?
銀河的映画カントクとしての対抗心?
違う、これは――――
ひょっこりと少しだけ、と覗かせた店の中。
「……」
そこには、なんだか季肋と親しげに話す可愛らしい女性。
何を話しているのかは解らないが、鈴の音を転がすようなその声と、くるくると変わる表情は誰が見ても可愛いと思えるものだった。
それを見た時、なぜだか、心臓が針金のようにズキズキと痛む。
「……っ!」
楽しい事、楽しい事を考えたい。
だめ、ジャンプしたらいけない。
だって、季肋と約束したから。
なんで?どうして、なんでだよ、
そんな色んな気持ちで頭がぐちゃぐちゃになる。
待ち合わせの時間を無視して、早く来たのが良くなかったのだ。
「ハハ……バチ、あたっちゃったァ……」
どうして、なんで、だって、季肋は――――
「オレの季肋なのに……」
そこまで言って、やっと気付いた。
そうだ。
オレのだと思ってた。
なんで気付かなかったんだろう。
『だってオレ、お前に好かれてーもん。』
最初から――――――
「オレ、季肋のこと、好きなんだ……」
でも、季肋はオレのなんかじゃない。
だって、沢山の人に好かれてて、才能もあって、それに、季肋は絵を好きになってくれたと喜んでくれたけど、それだって、昔に、ともだちがいたと言っていた。
全部全部、自分だけのモノなんてない。
なら、諦めたらいいのに。
忘れられたらいいのに。
だけど、この感情は――――――
「っ……」
忘れられるわけのない、大事なモノ。
落ちた涙と一緒に、全部気持ちも流れたらいいのに。
――――そんなの、嘘。
だって、言ってくれた。
忘れなくても、嫌いにならないって。
だから、だから……
そんなぐちゃぐちゃな感情を抱えながら、ただ、あく太は何処に行けばいいのか解らず走っていた。
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