「衣川、ちょっといいか」
昼休み。
五十竹と一緒に食べようかな……と思って教室を除くといない。
しょうがない、美術室で一人でご飯食べようかな、などと思って踵を返した時だった。
関口に声を掛けられたのは。
「なんの……用……」
季肋は正直、関口に良い感情を持っていない。
嫌い、とまではいかないものの、嫌悪感はある。
五十竹を虐めた人物。
それだけで、自分を傷つける人間よりも季肋にとってはずっと嫌な存在だった。
「いいから、着いてこい」
なんだろう。
このまま放っておいてもいいが、八つ当たりで五十竹が嫌なことをされたら困る。
しょうがない、と季肋はついていくことにした。
人気の無い屋上。
「……なんで、お前らまで着いてきてるんだよ」
「だって、なんかされたらヤバいし」
「……」
何故かついてきた森田と鵜川。
人を連れていいなら、自分も斜木や輝矢、久楽間を呼べば良かった……と内心思った。
「それで……なに…」
はやく終わらせて、ご飯を食べたい。
昼班のメンバーは気にせずありのままの季肋を受け入れてくれるが、この三人を前ではいつものようにトモダチに相談することもできない。
嫌な時間だ。
季肋は早く、みんなに会いたい、と思う。
でも仕方ない。五十竹のためだ、と。そう考えながら関口の言葉を待つ。
「あー」とか「うー」とか声にならない言葉を口にする関口に、さすがの季肋も不快感を覚える。
「…なんでもないなら……行ってもいい…?」
みんなと仲良くなる前の季肋だったらけして言えない言葉。
でも、嫌な事を我慢する必要はないのだと、みんなが教えてくれた。
自分を好きではない人達にわざわざ時間を割く必要は無い。
自分をまだ解らない人、知らない人になら頑張れば好きになって貰えると、観光区長になってから知った。
でも、嫌な事は我慢する必要はないのだとみんなが教えてくれた。
だから、季肋は観光区長の仕事が好きだ。
昼班の友達が好きだ。
優しくしてくれる大人たちが大好きだ。
みんな自分達を守ってくれるし、自分もそんな人達を守りたい。
だから、季肋にとって関口にわざわざ時間を割く理由はなかった。
「……ちょっと待って」
「……」
一体何のようだと言うのだろう。季肋は去ることも出来たが、お兄ちゃん気質のためついついそう言われたら待ってしまう。
しょうがない、と割り切って待つ。、
「……衣川って」
「な、に……」
「五十竹と付き合ってるのか?」
「……は?」
すると、考えてもいなかった台詞が関口から飛び出た。
「つ、つきあ…!?え、……えっ…?」
「この前のツアー、よくわからねえけど、ライブ見た」
「……え、あ…うん…」
七基が作ってくれた新曲の披露だ。
二人で歌った『MY LIFE is NO CUT!』。
以前、七基と歌ったガラスワールドと同じように季肋にとっては特別な歌。
あく太と喧嘩して、わかり合って、そして初めて二人で築いた大事なステージ。それがどうしたというのだろうか。
「……あいつ、笑ってただろ」
「それが……」
五十竹が笑ってるのが気に入らないのか?と思ったが、関口の顔を見た瞬間、季肋は『解って』しまった。
悔しそうな、辛そうな、苦しそうな、そんな、嫌な事を全部込めた、顔。
「……どうして、」
そんな顔をするくらいなら、
そんなに辛いなら、
そんなに―――――――
どうして、
どうしてどうして、どうして、どうして、どうして、どうして、
そんなに、
そんなに!!
そんな顔をするなら、
どうして、
五十竹のことが好きなら、守ってやらなかった?
「……つきあっては……いない」
「……そ、っか」
わかってしまった。
自分も同じだから。
全部。
虐めるのも、ちょっかいかけるのも、何度も声をかけるのも。
あく太はすぐに忘れてしまう。
嫌な事をされてもスルーしてしまう。
季肋だけが知ってる、あく太の秘密。
だから、関口たちに何をされてもあく太は気にしなかったし、反応しなかったのだろう。
そして、関口は、多分あく太のことが好きだった。
理由はわからない。きっかけも。
けれど、反応を示さない相手に、関口は反応が欲しいがためにどんどん行動はエスカレートしていく。
あく太の反応が欲しい、ただそれだけで。
けれど、結局、何をしても関口はあく太から何も貰えなかった。
好意も――――嫌悪さえも。
そして、うぬぼれでもなんでもなく、今、あく太に一番近い位置にいるのは季肋だった。
自分が欲しいものを、季肋はあく太に与えられていた。
好意も、友情も、隣にいる権利さえ。
たった一言、優しくしてあげれば容易に手に入ったこの場所。
でも、季肋は誰にもこの場所を、立ち位置を、譲ったりするつもりはない。
かつて、親友が去った時は悲しくて、でもしょうがないと諦めた。
でも、あく太は。
あく太のことは、
「でも……俺は…」
誰にも譲れなかった。
「五十竹が、好き」
そう口にした瞬間、安堵した関口の顔が、くしゃりと歪んだ。
まるで水張りに失敗したキャンバスのように。
そして、扉が同時に開いた。
「季肋!!」
「五十竹」
その声の主を、季肋が間違える筈がない。
今自覚した、でも、きっともっと前から好きだった人の顔を見て、こんな状況だというのに、季肋は、ああ、好きだ、と思った。
『だってオレ、お前に好かれてーもん。』
そう言ってくれたあの日から、ずっと五十竹あく太は、衣川季肋にとってたったひとりの『特別な人』。
自覚したら、気持ちが駆け出して止まらない。
自分だけじゃなく、五十竹あく太を好きだという人物がいて、それはきっと、これから沢山できる筈だ。
その時に、胸を張って立てる自分でありたい。
自分にとって、五十竹あく太が『特別な人』であるように、
自分も、五十竹あく太の『特別な人』―――になりたい。
「でも……どうしたらいいと思う…?」
『ぎゃはは!なら押し倒して好きにしちまえよ!』
「え……え…」
みんなに相談すると、いきなりピンフゥに言われる。
押し倒す……?五十竹を…??
季肋は自分があく太を押し倒すところを想像して、それだけで頭に血が上りそうになる。
「む、無理だ……」
『そりゃそうだよな、そんなことしたらお前は嫌われて、一生口を利いて貰えなくなるだろうナ?』
「……っ」
『ショックで……もはや眠ることしかできない……ッス…』
『そんなことないよ!ミスターあく太はカインドだから、きっと許してくれるよ!』
そう言うが、そんなこと出来ない。
季肋は一緒に何度も風呂に入った事がある時にみたあく太の細い体を思いだす。
あの体を組み敷いて、好き勝手に……?
「や、やっぱり……む……無理だ……」
嫌われるとかそれ以前に緊張してそんなことできるわけがない。
『一番大事なのは、好きになって貰えるようにどうしたらいいかであろう』
「そ、そう……」
何故かあらぬ方向へと話が進んでいたが、KBのお陰で話が戻る。
その通りだ。
別に季肋はあく太のことを好き勝手弄びたいわけではない。大事なのは好きになって貰う事。恋人になることだ。
『しかし、我々にはその方法は解らない……』
「そっか……」
『だが、それならば他の仲間に聞いてはどうだろうか』
「仲間……」
『人間のことは……人間に聞くべき……ッス……』
リプリスの言葉で、そうかも、と考えを固める。
以前の自分だったら、友達も、頼れる人もいなかった、家族以外。
だけど、今はそうじゃない。
ちゃんと、頼りに出来る人達がいる。
夕食を食べ終わると、ふわふらと部屋へと戻るあく太の背中を少しだけ気になったものの、季肋は丁度良いと思い、意を決して七基と宗氏と潮に声をかけた。
「……斜木、輝矢、久楽間……」
「うん?どうしたの、季肋」
「その……相談したいことがある……」
「相談?どういった要件だろうか」
「えっと…その……」
ここで言っていいのだろうか。
いや、大丈夫だ。別に相手のことを言うわけじゃないし、と季肋は気をとりなす。
「……もしかして、あいつらに何か言われた?」
「え……」
「関口と森田と鵜川」
「いや、ちが……」
手をぶんぶんと振ってそうじゃないとアピールするが、
「やっぱりあいつらに何かされたわけ?だとしたら許せないんですけど」
「ふむ……五十竹だけではなく、うーちゃんや衣川にもそのようなことを……」
そんな話をしていると、幼馴染がこちらへと駆け出してやってくる。
「おい、キロ!今の話どういうことだ」
「え……」
「キロちゃん、虐められてるの?大丈夫??」
「え……そうじゃなくて……その…」
「やはり、あの時に投げておくべきであったか……」
「み、みんな……あの……」
どうしよう、話がまったく違う方向へと進んでいく。
こういう時に五十竹がいれば、と思うが彼のことを話すというのに助けを求めるわけにもいかない。
「みんな、季肋くん、困ってるよ?」
そう言って、主任が助け船を出してくれる。
「しゅ、主任……」
助かった、と思い、季肋は主任がにこりと微笑んでくれて安心する。
「何か、話したいことがあるんだよね?」
「う、うん……」
穏やかに語りかけてくれて、それから季肋は本題に入る。
「……じ、実は…好きな人が出来て……」
「え!」
「好きな人?!」
その言葉に特に糖衣と七基が反応を示す。
「その人の事を、今日、付き合ってるのかって聞かれて……」
「は?関口達に?」
「うん」
潮の言葉に季肋は頷く。
「関口も、その人の事が好きらしくて……それで気になったみたい……」
「そのような事情が……」
「三角関係!?」
「それを言われて……俺……取られたくないな……って…」
「~~~~~~っ!」
「……っ」
悶えている糖衣とその隣で幼馴染みの成長に唖然としている琉衣。
そして、何かを噛みしめている七基。
…とは対極に、 関口騒動に納得する宗氏と潮と頷く主任。
「でも、その人は……凄く凄く、魅力的だから……どうやったら好きになって貰えるかな……って」
どうしたらいいと思う?とまで言うと、ハッと我も戻った琉衣が右手で拳を合わせ左手に当てる。
「そんなん気にすんな。キロの魅力に気付かない時点でそいつはカスだ、殴っていい」
「うわ、暴力的すぎて引くんですけど」
「なんだ、文句があんのか」
「うわ、そうやって喧嘩売るのやめて欲しいんですけど。まぁ、でも仏像の魅力に気付かないならそこまでも相手って切り棄てていいってのは俺も同意見」
「……魅力」
「大体、好きって気持ちはコツコツ積み上げていくものでしょ、いきなりイベントが起きてそこでいきなり~なんて現実味がなさすぎるでしょ」
「うーん……確かに好感度は必要だよね!でも、好きだなぁって自覚するためのイベントも必要だと思います!」
「……イベント…」
「……確かに糖衣さんの言う通りかもしれない。よくは解らないがミシェル・マイヨール氏がペガスス座51番星bを発見した時のように日々の積み重ねが一気に実る瞬間というのは何にも代えがたいモノだと思う」
「……日々の積み重ね」
多分、嫌われてはいない、というか好かれてはいると思う。
「……ねぇ、季肋くん」
「主任」
「その人ってどんな人なの?」
「え……」
突然言われて、季肋は固まる。
「あ、名前を言って欲しいとかじゃなくて、みんなの言う通りいきなり好きっていう風にはならないでしょう?」
「う、うん……」
「だから、季肋くんとその人はどんなことしたのかな……って」
「……どんなこと…」
そう言われて、季肋はあく太としたことを思い出す。
「…映画を見た」
「映画?」
「それから、散歩に行ったり、俺の絵…見て、褒めてくれた……」
「散歩!?」
「パンダ、うるさい……っていうか、」
「この前にはうちに来て、ご飯食べて、風呂に入って…あ、一緒に寝た……」
「お泊まりにお風呂に一緒に―――」
「斜木には刺激が強すぎるようだ」
「……っていうかさ、それって……」」
「とりあえず、キロのことを傷つけるようなヤツではねーみたいだけど…」
「それから…プレゼントを贈った……すごく、喜んでくれた……」
さすがにツアーやライブのことを言ったらバレてしまうだろうから、そこには触れないでおく。
すると、糖衣が眉を顰めて、季肋に詰め寄る
「キロちゃん、あの、本当に付き合ってないの?!」
「……付き合って……ない…」
「でもでも、お泊まりイベントなんて、普通なら両思いじゃないと無理だよ!?」
「……相手は…」
確かに普通の相手ならそうなのかもしれない。
でも、あく太が特殊なことは事情を知ってる季肋が知っている。
あく太と叔父が仲良いこと、慕っている事は知っている。きっと、叔父から愛を受けていたことも。
けれど、それまでの、小学校三年まで、愛情を注がれなかった、放任されたことが彼のトラウマになっている。
叔父の愛を得ても、癒やせないほどの傷が。
「凄く、優しくて格好良くて可愛いのに……愛情にちょっと鈍い……臆病……だから…」
「なにそれ、面倒くさすぎ」
「……そこも含めて……好きだ……」
「ベタ惚れだな、衣川」
「うん……それに、約束した……守るって……」
「…は?」
「そそそそそれって」
「パンダ、うるさい」
「斜木は元気だな」
「プププププロポーズじゃないの!?」
「うわぁ!キロちゃん、情熱的!」
「ぷ、ぷろぽ……!ち、ちがう……そのときは、まだ、好きだって気付いてなかった……から…」
でも、確かにそう言われたらそうかも?と思うとなんだか恥ずかしくなって、頬に熱が集まるのを感じた。
「そっか……季肋くんにそんな相手が……」
「キロももうそんな年なのか……」
何故か保護者のようにうんうん言ってる二人に季肋は自分の気持ちを全部話して、恥ずかしい気持ちがこみ上げてくる。
「でも、季肋くんに恋人が出来たら、あく太くんは凄い寂しがりそう」
「確かに言えてる。オレの季肋ってアイツ言うし」
「というか、あく太はいないんだね、まぁ、あく太がいたら鼻血垂れて大変なことになりそうだから良かったのかもしれないけど」
「パンダはうるさいだけでしたけどね」
「それは何?一々突っかからないと会話できないんです?」
「別に?仏像の役にはひとつもたってなかったなーって」
いつものように喧嘩する二人は放って、冷静に宗氏は口にする。
「それは気になっていた。衣川ならいつも五十竹に一番に相談するだろう」
そこまで言われて、季肋のほのかに赤かった頬から、色が濃くなり、顔中が深紅へと変化していく。
「キロどうかしたのか?」
「季肋くん、大丈夫?」
その様子に喧嘩している二人と鈍い主任と琉衣は気付かなかったが、他の二人はごまかせなかった。
「衣川、もしかして、」
「キロちゃん、もしかして、」
二人の声が同時に聞こえる。
「衣川の想い人は、五十竹なのか?」
「キロちゃんの好きな人って、あく太くん?」
同時に言われたその言葉、一瞬、凍る空気。
「あ……あぅ……え……」
季肋は、戸惑ったように喉から音を出すことしか出来ない。
けれど、決意を込めたように前を見た。
「……うん……」
周囲の方が驚いて目を見開く。潮と七基、琉衣の顔が面白い事になっていた。
「俺……気付かなかったけど……」
そんな勝手に保護者面している男達の気持ちを知らず、季肋は言葉を続ける。
「小豆島で、研修した時から、ずっと―――――五十竹のことが、好きだ」
たどたどしく、けれど、誤魔化すことなく、彼は言った。
「……そっか」
そんな季肋の言葉にいち早く反応したのは、主任だった。
「そっかぁ」
「主任?」
「……ううん、なんでもない」
主任は思い出す。
二人が話していた時、二人はもっと仲良くなれそう、と思っていた。でも、まさかこうなるだなんて思わなかった。
「あく太くんなら、季肋くんがどこに誘っても笑ってついてきてくれると思う」
「……誘い…」
「恋人とかいたことないから解らないけど、でも、HAMAはすごくすごーく良いところだから、一緒に歩いて、思い出を作ってみたら?」
「……思い出」
「ふむ、主任の言う通りだ。まずは五十竹と一緒に出かけたり、遊んだり、時を重ねたら良い。うーちゃんと僕もそうやって仲良くなった」
「いや、それはちょっと違う気がするけど……でも、確かにその案は賛成。デートするっていうのはお手軽だけどてっとり早いでしょ」
「……で、デート」
「まぁ、五十竹に季肋は勿体ない気がするけどね」
そう笑う潮。
その通りだ。季肋は潮や、宗氏がこんな人だなんて知らなかった。
きっと、これからも沢山知っていく。
それは、あく太のことも。
「デート、大賛成ですっ!ねぇ、兄様」
「……」
「兄様?」
「……五十竹か」
そこまで言って、琉衣はどうしたらいいものか、と考える。
あく太は季肋とは別のベクトルで琉衣にとって可愛い年下だった。自分を慕って親分、親分と言ってくれる。
深入りするつもりこそないが、あんなに素直に懐かれれば可愛くないはずがない。
困った。
季肋を悲しませたら、困らせる人間相手なら殴ってやろうと思った。
しかし、
「五十竹相手なら、殴れねえな」
「……殴らないで……欲しい……」
「殴らねーよ……キロ」
「うん」
「うまくいくといいな」
「……うん」
そう言って、季肋は頷く
。
「それじゃあ……俺、誘ってくる」
「え、すぐ?」
「う、うん……」
「そ、そっかぁ……」
みんなが背中を教えてくれた。大丈夫だ、と。
「明日、鹿さんのお手伝いする約束があるから……その後、で……デートしてくる…」
「うん、頑張って、季肋くん」
手を振ってくれる主任に振り替えして季肋は自分の部屋に向かう。
五十竹はどこだろう、と誰もいない部屋を見る。よく見ると、ベッドが膨らんでいることに気付く。
「……五十竹……?」
「……へ?」
「いない……と思ったらいて……静かで……具合、悪い?」
「っ…あ…ぅ……」
熱でもあるんだろうか、と思ってそっと額に触れる。
「あ……あ……」
「五十竹?」
顔を真っ赤にして、汗が頬に伝う。その姿に無意識に季肋の喉が鳴る。
『ぎゃはは!なら押し倒して好きにしちまえよ!』
ピンフゥの言葉が脳でリフレインする。
このまま、押し倒して、そして曝いて、そんな欲望を満たす行為。
それを考えた事がない、と言えば嘘になる。でも、それはダメだ。あく太との信頼を壊すことになる。
「五十竹……っ」
考えを打ち消すように季肋はあく太の名を呼ぶ。すると季肋の事をあく太が見つめる。
その美しい緑の双眸を裏切りたくない。
「え?」
誤魔化すように、丁度流れてきたあく太の鼻血の事を告げた。
ああ、良かった。と季肋は自分で自分を裏切らなかったことを褒めた。
「鼻血、が……」
「あ、あれ?」
「っ……うわ、やばいやばい」
「五十竹、ティッシュ……」
「やば、一触即発!虎尾春氷!重卵之危!断崖絶壁!燕巣幕上~~~~!!」
「……」
宗氏が教えてくれたようにあく太の鼻にティッシュを詰める。
そして、そんな様子のあく太を見ながら、さっきのことを思い出す。
言って、いいのだろうか。
許されるだろうか。
どうしよう、と思っていると友達が語りかけてくる。
『このままキスぐらいしちまってもいいんじゃねえの~?』
「きっ…?!」
『んなワケねえだろ、さっさとデートに誘ってスッキリとするんだナ??』
「う、うん…」
『大丈夫だよ!きっと喜んでくれるよ!』
『……簡単すぎて……眠い……ッス…』
『問題なかろう。覚悟を決めよ』
そうだ、前に進むと決めた。
ダメかもしれない。でも、
「……五十竹……」
「うん?」
「その……明日の土曜日……鹿さんのお手伝い……」
「あ、そっか。花文字?だっけ?」
「うん……」
「そっか」
自分の予定を覚えていてくれた。それだけで凄く嬉しい。
でも、それだけじゃ自分は足りなくて、
「そ、それで……」
「うん?」
「お手伝い、終わったら……」
恐い。
断られたら、自分の下心がバレていたら、そう思って床に一度視線を落とす。
けれど、季肋は顔をあげて、あく太の顔を見つめた。
「……一緒に、出かけよう」
どうか、断らないで欲しい。
頷いて欲しい。
そう思っていると、
「――――うん」
願いは通じたのか、あく太は頷いてくれた。
あく太の顔が、赤かったのは、自分と同じ気持ちだったら、なんて少しだけ期待しながら、季肋は明日が早く来て欲しいと空に願った。
後もう少しで終わる、と思った頃、
「あれ?衣川くんだ」
「林杏さん……」
礼光の妹に呼びかけられた。
「林杏」
「もう、お兄ちゃんってば、なぁに?」
「衣川は手伝いに来てくれたんだから邪魔をするな」
「邪魔じゃないもん、ね~?衣川くん」
「え……っと…」
礼光に甘えるようにわざと頬を膨らませる林杏の姿に自分の溺愛している妹のことを思い出す。
すると、つい笑みがこぼれる。
「ねぇねぇ、衣川くん、今日は何時までいるの?」
「えっと……」
「衣川はあともう少しで終わりだ。午前中だけだからな」
「えー、衣川くんが来るんだったら用事いれなかったのに!お兄ちゃんのばか!」
「……はぁ…」
いつものことなのだろう、呆れたようにため息を吐く姿に少しだけ同情を覚える。
けれど、同じように妹がいる身としては、妹に振り回されるのも楽しいのがわかっているので季肋は何も言わず見守っている。
「……衣川、キリがいい頃だろう。今日は助かった。あがっていい」
「はい……ありがとうございます」
「曽潤に送らせる」
「あ……約束があるので、大丈夫……です」
「えー、もしかして、恋人?」
妬けちゃうなぁ、だなんてからかう林杏をたしなめるように礼光が彼女の名を呼んだ。
「そうか」
「はい」
「それじゃあ、また寮か会社で。くれぐれも気をつけろ」
「はい」
頼りになる大人だ、と考えながら季肋は頭を下げて、それから中華街を出ようと門へと向かう。
だが、礼光と別れてすぐに季肋はーーー会いたいと思っていた人の背中を見た。
「五十竹……」
迎えに来てくれたんだろうか、と思ったが、それにしてはなんだか様子がおかしい。
一目散にどこかへ走って行く様子。
声をかけても気づかない。
どうしたというのだろうか、と思う。だが、思考で動きを止めてはいけない。
季肋はあく太を見失わないよう、必死で追いかける。
中華街とは反対方向、急な坂。
HAMAが可不可のおかげで発展したとはいえ、まだ他の観光地に比べて集客率は低い。
ましてや、住宅地の公園には人はいない。
かつては美しいと言われていたイングリッシュ・ローズも見る人はほとんどいない。
海の見える丘という名にふさわしい展望台、そこに一人腰掛ける人がいた。
「……っ」
あく太が泣くところを見たのは二回目だ。
いつもポジティブで、悲しいことを考えないようにしていた、否、考えることをやめていた彼はほとんど涙を流さない。
自分だけが泣き顔を知ってる、だなんて自惚れをさすがに言うつもりはない。
けれど、きっと自分は泣き顔を知ってる、数少ない人物だとは思う。
「五十竹」
名前を呼べば、肩をふるわせて、けれど観念したように涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔が振り返った。
「……季肋」
「……えっと…」
「なんで……ここにいる、ンだよ……」
ぐすん、と鼻水を啜る音が聞こえる。
涙をぬぐいつつ、顔を隠した。
終わるまで待てばいい。
見られたくないのだと、去ればいい。
でも、それができないのは、その涙を拭う役目が自分でありたいからだ。
「五十竹」
「っ……」
きっと嫌なら、反応もされないだろう、と思いながらも律儀にあく太は季肋に振り返る。
「……きろく」
横浜港と、ベイブリッジを背に。
緑の双眸が、ゆらめく。まるで波紋を起こした水面のように。
季肋を見て、無理矢理口角をあげようとして、でもできなくて、また涙が溢れた。
「……っ」
「どうしたんだ……」
「どうして……」
近づいて手を伸ばそうとすると、拒絶するようにあく太は顔を左右に振った。
放っておいてほしいと言外に伝えてくる。
昔なら諦めていた。
今でも、他の人なら諦めていたかもしれない。
けれど、季肋は決めたのだ。
五十竹あく太のことは諦めないと、守るのだと、そばにいる、と。
「五十竹」
「っ……」
「どうしたんだ…??」
もう一度尋ねれば、泣き声交じりで、それでも発した。
「お前が……」
「俺が……」
「彼女、がいるだなんて、知らなかった。」
「えっ…!?」
そんなのいない、と言おうとしたが、それを皮切りにあく太は塞き止めることなく感情を放出する。
「オレが、季肋の才能も、いいところも全部知ってるって思ってた。でも、違った」
「……五十竹」
「考えたらそうだよなァ、前、季肋、友達がいたって言ってたし、優しいし、格好良いし、身長もデッカイし!」
「……」
いつも、あく太が自分を褒めてくれる時はとてもうれしそうで、その笑顔が季肋は好きだった。
でも、今は違う。
悲しそうで、泣きながら、とても寂しそうに言う。
「なのに、なのに、オレ、どうしてーーー」
「……」
「オレの季肋だなんて、うぬぼれてたんだろう…」
「……っ」
それはかつて潮と七基がいつもの口喧嘩をした時に茶化すようにあく太が言った言葉。
あのとき、自分は否定しなかった。
それに、否定する必要もなかった。
自分でも気づいていなかったが、その頃にはあく太に惹かれていたのだから。
とりあえず誤解をとこう、と思って話しかける。
「……五十竹…」
「……」
「彼女……ってなに…」
そっと頬に触れると人よりも高い体温が手に伝わった。
「さっき」
「さっき?」
「中華街、迎えにいったら、仲よさそうにしてた」
「……え、ああ…五十竹、迎えに来てくれてた……?」
「……うん」
たったそれだけなのに季肋の心臓ははねた。
うれしい、ありがとうと、抱きしめたい気持ちでいっぱいになる。勿論、恥ずかしくてそんなことはできないのだが。
「誤解…だ……」
「ごかい?」
「あの人……鹿さんの妹、さん」
「……え?」
「……彼氏、いる……から…」
「え、でも……スッゲエ、季肋と近かったし!それに楽しそうで……」
「付き合ってない……」
「……」
きっぱりとそう伝えると、あく太は驚いた顔をして、それから
「そっか」
と安心したように微笑む。
その笑顔を見て、ああ良かったと心から思った。
泣いている顔も、可愛いと思うけれど、でも五十竹には笑っていてほしい。そう、季肋は思うのだ。
「……あのさ」
「うん?」
「それじゃあ、季肋は、誰とも付き合ってないっつーことでいいんだよな?」
「……うん」
好きな人は目の前にいるけれど、と心の中で思って。
「……」
それ言うと、あく太はそれから少しだけ考えているようだった。
その間にもコロコロとあく太の顔は表情を変える。
何を考えているのだろう、と思っていると、意を決したようにあく太は季肋の顔を見つめて、そして添えている手に自分の手を重ねた。
「……季肋」
赤い唇から、熱い熱と共に名前が紡がれた。
「ーーーオレ、お前んことが好き」
海軟風が、吹いた。
泣きそうな、つらそうな、期待しているような、笑っているような、いろんな感情でごちゃまぜになったあく太が、季肋を見つめていた。
まるで、白いキャンバスに一気に絵の具を出したような、でも、不思議と整った絵のように、あく太の顔は綺麗だった。
見たことないその表情は、どこか大人びて見えた。
「お前が、他の人を好きになったなら仕方ないけど、でも、オレ、そうじゃないんなら頑張るから」
あく太の睫毛がその目元に陰を落とす。
太陽の明かりが、自然のスポットライトとなって、あく太と季肋を照らしていた。
「だって、」
そして、あく太が口にした。
あの日、
あの時、
季肋を魅了した言葉を、もう一度。
「オレ、お前に好かれてーもん。」
涙で瞳を潤ませながらも、笑うその顔に息をのんだ。
その表情が季肋を思ってのものだと知れば、愛しさで胸がいっぱいになる。
「……」
あく太がここまで勇気を出してくれた。
逃げることなく、約束通り、自分の感情と向き合って。
なら、季肋にできることは、
「……頑張らなくて、だいじょうぶ……だ…」
「え……」
その言葉を拒絶だと思ったのか、あく太の瞳が揺れる。
けれど、そうじゃない。
「俺も、ずっと、小豆島にいった時から、」
息を吸う。
肋が酸素で満たされる。
いつからか、詰まるような息はなくなった。
ここが居場所なんだと思えるようになった。
それは全部目の前の、好きな人のおかげだと知っている。
「……五十竹のことが、好き、だ……」
恥ずかしくてはっきりとは言えなくて、たどたどしい言葉になってしまう。
けれど、小さなその声は、あく太の耳に届くには十分すぎるものだった。
「……ホントに?」
「うん……」
「ホントに、季肋、オレのコト、好きなの?」
「本当」
「ホントにホント?」
「……本当、だ…」
「ホントのホントーに、ホント?」
「ああ……」
そこまで言えば、あく太は言ったことがわかったのか湯気が立つのかと思うほど顔を真っ赤にして、それから、限界が来たのか鼻血が溢れる。
「五十竹……っ」
「あ……えっと…」
「……じっとしてて……」
「うん……」
あく太の頬から手を離し、ティッシュを取り出していつものように鼻に詰める。
いつものこと。
だけど、あく太は嬉しそうに笑う。
「……えへへ」
「五十竹……うれしそう、だ」
「季肋だって、そうじゃん?」
「うん……そう」
でも、それは仕方ない。
好きな人が好きだと言ってくれたのだから。
思いが通じ合ったのだから。
「……なぁ、季肋」
「どうか、した?」
「ぎゅっと、してもイイ?」
「………」
そう言われると、妹にするように季肋は思い切り腕を広げた。
その腕にあく太は迷うことなく飛び込んだ。
「……季肋」
「なに……?」
「オレ、スッゲー季肋のこと、好き」
「……うん、俺も……五十竹のことが、好きだ」
そう言って顔を見合わせれば嬉しくて笑みが零れた
きっと、これからも辛いことや苦しいことはあるだろう。
目を背けたくなるような残酷なことも、未来にはあるかもしれない。
映画のように簡単には解決しないかもしれない。
けれど、それでも、大丈夫だと、『この人』の傍にいることは変わらないことだろう。
大切なもの、
失うことも、
忘れることも、
今日、取り戻して、笑い合える。
途切れ途切れのフィルムを繋ぎ合わせて、完璧なハッピーエンドを二人なら、そして昼班やHAMAの他の仲間たちも一緒に作り上げていける。
五十竹あく太と衣川季肋が主演兼監督のラブストーリーは、まだ上映したばかりなのだから。
KOTOKO TO AKI『夏草の線路』が大好きで、その歌をイメージにした話をずっと書きたいと思っていました。
なかなか合うCPに会えませんでしたが、季あくに出会い、やっと夢が叶いました。ありがとう、季あく。
告白してキスして終わる話が多かったので今回は告白は告白、キスはキス、えっちはえっちで書いていこうと思いました。つまり三部作以上です。もう少しお付き合い下さい。