※潮がパティシエではなく小説家を目指している話になりますので苦手な方はご注意を。
※季あく前提のお話になります。2人は最後まで致して婚約してます
「うーちゃん」
「なに、むーちゃん」
20歳の誕生日の前日だった。
HAMAツアーズに入って3年目。
ここを去った人もいるし、ここにいる人も勿論いる。
色んな出会いがあって、辛い事もあって、でもそれ以上に手にしたものも大きかった。
幸せだ、と素直に口にするコトは出来ないし、未だに人と触れるコトは出来ない。
それでも、潮は特に不満に思った事はなかった。
きっと宗氏も同じだろう。
そう、思っていた。
―――――それが違うと知ったのは彼の誕生日直前だった。
「結婚しよう」
いきなり言われたその言葉の意味が、潮には理解出来なかった。
幼い頃はパティシエになりたかった。
けれど、今、自分はまったく別の大学に入っている。
菓子作りは今でも好きだし趣味の一環だ。
けれど、高校時代の、口が裂けても親友とはいえない新しく出来た仲間たちのせいで創作の楽しみに目覚めてしまった潮は文学部へと進んだ。
浜あすなろ高校時代と違って友達と呼べる人間は1人もいなかったが、それでも特に不満はなかった。
―――――と言えたら良かったが、実際のところ、友人はいた。
「潮!いたいた!」
「うるさい!アホ竹っ!」
その代表が目の前にいる男である。
名前は五十竹あく太。認めたくはないけれど、潮の所属するDay2のリーダーである。
彼は潮が本格的に小説に着手すると聞いて、勝手に自分が進学する大学へ誘った。
「なんでだよ~!オレと潮の仲じゃんか~!なぁなぁ、一緒に脚本の課題について語りあおうぜぇ!」
「うざいっての!近づかなくても弁当くらい一緒に食べられるでしょ」
「え、一緒に食べてくれるの?ヤッター!」
そう言って、ちょこんと潮の隣にあく太は座る。
学食に行けば良かったのだろうけれど、人がいっぱいいるところが好きではない潮は大体天気の良い時は今日のように中庭か、あるいは2階か3階にあるラウンジを使用している。
無駄に人が多く、自分達をバカにする人間が多かった高校時代と違い、大学生活は実に快適だった。
友達はあく太1人、と言ったが、潮とあく太をバカにする人間はほとんどおらず、自分をバカにする人間もいなかった。
それどころか自分に本をオススメしてくれたり、輪に入れない自分に気を遣ってくれる人間がほとんどだった。
HAMAツアーズで針鼠のようにとげとげだった自分の針が抜かれたように、ここでも毎日のように針は抜かれている。
あく太は潮とお揃いの雪風が作ってくれた弁当を手にして『いただきまーす!』と大きな声を出す。
その声にうるさ……と思いながら、ぼーっとあく太を何気なく見つめていた。
「……」
キラリと、あく太の指が輝いていた。
その正体を潮は知っている、指輪だ。銀色の。
「……五十竹」
「どったの?潮。食べないと昼休み終わっちまうぜぇ!それともいらないなら」
「食べるから放って置いて、そうじゃなくて」
あく太の指に輝くソレがこの世でたった一つのモノであることを潮は知っている。誰から贈られたもので、どういう意図があるのかも。
「……お前、仏像に指輪貰った時、恐くなかったの」
「……」
あく太は潮の言葉に、不思議そうに目を向けた。
それから持っていた卵焼きを口にした。
「……」
言った後、馬鹿なコトを聞いたと思った。
あんないちゃいちゃしてるようなバカップルがそんな情緒なんて持ち合わせてるわけがない、と自分を叱咤した。
「―――恐いに決まってるじゃん」
……そして、その言葉に、ハイ、バカ。なに、目をそらしてるの、と今度は自分に怒りを向ける。
「……恐いに決まってるじゃん、だって、オレ、こども産めねーし、季肋に何もやれねえし、四季ちゃんとか、皆に悪いって思うし」
けれど、あく太は怒らない。
ここは茶化してはいけないところだと本気で読み取り、素直に言う。
そして、知らなかった。
「別れようって思ったことだって、あるんだぜぇ?」
「……」
笑い話のように言うあく太の顔。
真剣な顔なら幾らでも見た事があったが、何かを諦めるような寂しそうな笑みを潮ははじめてみた。
季肋なら何度も見た事あるんだろうか、とふと此処にいない男を思った。
「でも、オレ、季肋のことだけは手放せないと思った」
聞くんじゃなかったと思った。
映画以外のことで、そんな目をするあく太など見るべきじゃなかった。
これは俺の見ていいものじゃなかった、と後悔する。
「……で?」
それからあく太は潮に振り向いた。
「え?」
「―――宗氏と、何かあったんダロ?」
「……」
「あく太さんにはオミトーシだぜェ?」
にやりと笑う五十竹に呆気にとられて潮は言葉を失う。
「だって、トモダチだしな」
「……うっさいし、くっさ……」
3年前だったら、突き返していた言葉を潮は恥ずかしくて顔を背ける。
「えー、いいじゃん、いいじゃん!」
「……」
そう言って纏わり付く、が自分の体には触れない男に観念して潮はため息を吐いた。
「あのさ」
「うんうん」
「――――むーちゃんにプロポーズされた」
そして、口にした。
あの日から、忘れたいのに忘れられないことを。
いつもと同じ夜だった。
あと数分で宗氏の誕生日、という時だった。
「いつものことだけど、むーちゃんの方が年上になるって変な感じ」
「うむ、考えたらうーちゃんは昼班の中でも一番最後に年をとるからこればかりはしょうがない」
「俺としては五十竹が一番最初に年上になるのは納得できないですけど」
「そうか、五十竹は僕たちのリーダーらしくあれでなかなかの漢だと思うが」
「それ言ってるのむーちゃんと仏像だけだから!」
三年経過してもうるさい代表の男を思い出すが、多分、あの男は変わらないだろう一生。
一生振り回される季肋に同情を少しだけするが、あれは自分が望んでその位置についている男なので無用の感情であった。
「……どうせ、むーちゃんの誕生日と同時にうるさく扉が開くよ」
「ふむ、それはそれで有り難いし嬉しいが……少しだけうーちゃんと2人で祝っていた頃を思い出すな」
「……」
宗氏に言われてたった4年前のことなのに遠い出来事のようだ、と思う。
二人きりで寂しくて、辛くて、寄り添って生きて、けれど温かだった日々。
あの箱庭を、潮は愛していた。
それだけが自分の世界だった。
宗氏だけが自分の世界で唯一の登場人物だった。
愛しくて、完成された世界だった。
けれど、あの世界に戻りたいとはけして思わない。なんだかんだで潮も今の騒がしい日々を愛していた。
「……うーちゃん」
「なに、むーちゃん」
潮の名を呼ぶ、綺麗な声。
変わらない。
宗氏は潮の世界でずっと変わらない。
綺麗で、優しくて、芯が強くて、意地っ張りで、頭が良くて、穏やかで、けれど、意外に喧嘩っ早くて、そんな彼が好きだった。
きっと、自分達は永遠に親友として生きていくのだろう。
それで良かった。
時折、宗氏をこの世界の住人でないように感じるときがある。
ふらっとどこかに消えてしまう気がするのだ。その時、自分はきっと彼を繋ぎ止めるものになれはしないだろう。
とても悲しい事だけど、それで良かった。
でも、自分の目が黒いうちには、手が届くときにはけして許さないけれど、と付け加えて。
「結婚しよう」
だから意味がわからなかった。
宗氏の言った言葉が。
「……は?」
「家族になろう、うーちゃん」
「……ちょっと、意味わかんないんだけど、むーちゃん」
宗氏の誕生日まであと10分前。
じっと宗氏は潮の目を見ていた。
「籍を入れよう、と言っている」
「だから、意味がわからないってば!」
宗氏は狂ったのだろうか。
自分達は幼馴染だ。友達で親友で、そして同級生で、更にはHAMAツアーズの社員同士で、Day2の仲間でもある。
肩書きという意味では、この会社の中でも一番多い関係性だろう。
でも、その関係性に『恋人』なんてものはない。
これからもなる予定はなかった。
だというのに、潮の意思を無視して宗氏はズカズカと踏み入れる。
「結婚というのは……」
「そうじゃなくて」
「うーちゃん……」
そうじゃない、意味を知りたいわけじゃない。
そんなものは解ってる。
「……ねぇ、むーちゃん」
解ってるからこそ拒否をするのだ。
「あのさ、結婚って恋人がするものだって知ってる?」
「大衆はそうだろう」
「むーちゃん、恋人ってどういうものか知ってる?」
「無論だ」
「じゃあ、言ってみて」
「五十竹と衣川」
「……」
そう言われたら、潮は宗氏がトチ狂っただなんて言えなかった。
その通りだ。
何も間違ってない。
「ねぇ、むーちゃん」
だからこそ、宗氏の言葉はおかしい。
「俺たちは恋人じゃないんだよ」
「うーちゃん」
「……恋人っていうのは、」
「それは、」
おかしい。
どう考えてもおかしいのだ。
結婚というモノはお互い愛し合っている2人がするものだ。
潮と宗氏の間にあるものが愛情ではない、だなんて言わない。
けれど、恋人に感じるような強い感情ではないはずだ。
家族愛であったり、友愛のようなものではないだろうか。
きっと、同じものを宗氏も潮に向けている、と思う。間違いない、と思う。
けれど、潮は知っている。
「拒否する理由ではないのだろうか」
宗氏は決めたことを、けしてねじ曲げるような男ではないということを。
カチリと、宗氏の誕生日が始まった。
2人の部屋の扉が開く。
「むねうじっ!お誕生日おめでとーさんっ!!」
「むっ!」
ドタバタとうるさい音と共に、話は終わった。
潮は、逃げられたのだ。
この時ばかりはあく太に感謝した。
だって、おかしい。
おかしいのだ。
潮は大好きな本で知っている。
恋人というのは、好きになって溜まらなくお互いが欲しくなって、口づけを交わしたり、それ以上のことを欲する間柄ではないだろうか。
だとしたら、潮にはそんなものは無理だし、いらない。
欲しいと思っても、手に入らない。
『抱きしめてやりたい』
そう言ってくれた、宗氏の優しさすら、自分は返せないのだから。
「衣川」
「輝矢」
くたくたになって帰路につく途中で見知った背中に名前を呼ぶ。
「今、帰りか」
「うん……輝矢も、か……」
「ああ」
大学に入ってからますます絵画にのめり込んでいる季肋は高校にいた頃よりも楽しそうだった。
勿論、2年生になって、Day2のメンバーと会ってからは楽しかったが5人ともどこか欠けた青春を送っていた。
5人でいるときこそ楽しかったが、周囲の目は厳しく、冷たくて、けして優しいモノではなかった。
大人を信頼できない時もあったが、そうではないのだと、世界は優しいのだとHAMAツアーズの人間達にあって思った。
結局、自分達も一部の人間しか、世界しか知らなかったのだ。
「衣川は忙しそうだな」
「それは……輝矢も……一緒……」
「うむ、だが充実はしている。アストロノーツを目指している同級生と切磋琢磨することも、ロケットを作る分野に携わる人達の話も実に興味深いし参考になる」
「……それは……良かった……」
ふにゃりと笑う季肋とは、よく帰り道が一緒だった。
同じ年齢の妹がいて、一緒に妹を迎えに行く日々が懐かしい。
「時に衣川」
「うん……」
どうかした?と聞く前に、
「五十竹と、この前朝帰りをしていたが」
「ぶっ!」
とんでもないコトを言われて、季肋は絶句する。
足は止まり、目が見開いて、口をパクパクさせる彼を虐めたつもりは無かったが、宗氏は内心申し訳無くなる。
「……うっ……ど、どどど、どうして……」
「いや、別に咎めたいわけではない」
「……」
恥ずかしさと、どうして、でいっぱいになっている季肋に宗氏は「聞きたい事があって」と前置きをした。
「……相談に乗って欲しい」
「……」
「衣川にしか頼めない」
「……それは、」
潮相手ではダメなのだろうか、という言葉を飲み込んで、
「寮じゃ……ダメ…な、こと……なのか?」
「ああ」
そう言われては仕方ない。
季肋は「わかった」と言う他なかった。
寮の近くの山下公園へ2人で行き、ベンチに腰を下ろす。
「……衣川は、五十竹とそういうことをしているのだな」
「……」
またその話…!と季肋は逃げたくなった。
しかし、他ならぬ親友である宗氏の悩みだ。ちゃんと聞いてあげなければ、という優しさが彼をその場に繋ぎ留めた。
「どうして、2人は性行為を行うんだ」
「どう……して……」
そんなこと言われても、季肋は困る。
季肋にとって、セックスをする理由なんて一つしかない。
相手が好きだからだ。
好きで、傍にいてほしくて、ふれあいたくて、誰にも渡したくなかった。
傍に繋ぎ止めておきたかった。
ただそれだけだ。
「教えて欲しい」
心臓を射止めんばかりに真剣な目で宗氏が季肋を見つめる。
特別なことはない、と言っても、きっと彼は知りたがるだろう。
ならば、と季肋は恥ずかしさを押し殺して言う他なかった。
「す、好きだから……」
「……」
「五十竹を……誰にも渡したくなかった」
「それで」
「俺は……」
はじめてセックスしたのは高校二年の頃だ。
付き合って間もなくて、ただ、一緒にいたかった。永遠が欲しかった
「ずっと、五十竹といたかった……」
「……」
確証が欲しかった。
彼が自分のものなのだと、傍にいていいのだと。
だから、何でもした。
ウル太を贈ったように、絵も、言葉も、時間も、指輪も―――――約束も捧げた。
自分の全てをあく太に渡したかった。そして、自分のあく太が欲しかった。
あの溢れんばかりの太陽のような笑顔と、その裏にある寂しさも全て抱きしめて自分のものにしたかった。
綺麗な感情なんてひとつもない、歪んだ独占欲だった。
でも、それでも、汚いと解っていても、まったくスマートではなくても、高校二年の頃に戻れば、きっと自分は同じことをする。
五十竹あく太を好きにならない自分なんてきっといない。
どんな人生を歩んでも、どんな道を辿っても、自分はあく太が欲しいのだ。
「衣川は……」
「輝矢?」
「衣川はいい男だな」
「え?」
「……きっと五十竹は衣川に愛されて幸せだろう」
「そ……そうか……?」
そうだといい。
そうであってほしい。
そんなコトを話していたら、あく太に会いたくなってきた。
七基の前だというのに彼を抱きしめて離せないかもしれない、と思った。
「以前、蜂乃屋さんが倒れた時の事を覚えているか」
「……琉衣くんが、慌ててた……」
夜空を見上げて、少しだけ考えて宗氏は話す。
突然何の事だろうか、と思いながらも少し前の事を思い出す。
なんてことないことだった。
いつものように、凪が仕事の途中で不幸に見舞われただけのことだ―――――それがまず日常なのがおかしいのだが。
まぁ、とにかく、いつものことだった。
だが、問題はその当たり所が悪いことだった。
凪は怪我をして、そして病院に運ばれた。
当たり前のことだ、毎回あれだけ不幸に見舞われて五体満足なほうがおかしい。
だが、問題はそこからだった。
「……凪さんの病室に、誰も入れなかっただろう」
「……」
病院に運ばれて、手術になった時、誰も入れなかった。
L4mpという、夜班という絆で結ばれた4人は誰1人として凪の病室に入れなかった。
何故か。
――――――誰も、凪の家族ではないからだ。
血のつながりも、戸籍上のつながりもひとつもなかった。
凪は天涯孤独の身だから仕方ない事だ。
そして、それを聞いた時、宗氏は思った。
「うーちゃんの骨は、死んだら親戚の元に行く」
宗氏は、世界中の誰よりも久楽間潮を理解して、傍にいて、同じ時を重ねてきた。
でも、
けれど、
そんなことは、『関係ない』のだと
どれだけ思ってるか、なんて法律では関係ない。
血の繋がりが全てだ。
戸籍の繋がりが法律だ。
「うーちゃんが死んだら、僕の元には何も残らない」
「……宗氏」
「それどころか、うーちゃんが倒れたら、病室には僕は入れない」
「……」
「嫌だと思った」
「それは……」
凪の時は、結局可不可がどうにかした。
身寄りがない凪の為に、と勤務先の社長だから、と。
でも、それだって時間はかかった。
琉衣が疲れた顔をして、子タろが寂しそうな顔をして、夜鷹が困った顔をしているのを覚えている。
もし、潮が倒れたら、自分達も同じようになるのだろう。
「うーちゃんを放り出して、1人にした連中に全部渡してしまうだなんておかしい」
「……うん…」
「だから、結婚しようと思ったんだ」
「それは……」
「合理的で実にいいと思った」
「……確かに?」
頭が良いが、どこかぶっ飛んだ考えをしている宗氏の考えは季肋はどうなのか、と正直思ったが、理に適っているからおかしいとは言えない。
一番簡単な方法なのは事実だからだ。
「……けれど、うーちゃんは、」
「潮は?」
「恋人でもないのに、結婚なんてするのはおかしい、と言われた」
「……それは……正しい……かも」
「でも、來人さんは友情婚だっておかしくない、と言っていた」
「それも……正しい…」
「そうだろう?」
そう、どれも正しいのだ。
どれ一つ間違ってない。
だから、悩むし、人は苦しむ。
「……衣川と、五十竹のように、焦がれるほどの情熱がなければいけないんだろうか」
「こが……っ」
しかし、淡々と自分と恋人の状態を言われるのはおかしい、と季肋でもさすがに解る。
そんな風に言わないで欲しい、否、間違ってないのだが、と口に出来ずにあたふたと季肋はすることしかできない。
「性行為をしなければ、結婚する意味はないんだろうか」
「……っ」
「母も、父が亡くなった後、養父と結婚した。僕の為だ、と周囲は言っていたが、姫が結婚した。結婚は繁殖のためだ」
「……それは…」
「わかってる、2人を否定するつもりはひとつもない、だけれど、繁殖しなくても、愛がなければ、性行為しなければ意味がないんだろうか」
「……」
「僕は、うーちゃんに触れたい。でも、別にキスをしなくたって、セックスしなくたって、2人で生きて行けたらいいと思っていた」
燃えさかるような恋情はない。
相手を欲する肉欲だっていらない。
ただ手を取り合って、昔のように抱き合って、お互いのぬくもりを交わすことがしたくない、と言えば嘘になる。
けれど、そこに性欲はなかった。
でも、潮はまるで恋愛は性欲が伴わなければならないかのように言う。
「……宗氏っ」
「……」
「俺は……」
寂しそうに一番星を探す宗氏を見て、季肋は声を荒げた。
「衣川?」
「五十竹を、抱きたいって思う……けど、」
「……」
「きっと、そういうことが出来なくたって、好きだって……一緒にいたい、って思った、と思う……」
「……」
いや、違う、と季肋は自分に言い直す。
「好きになったから、そういうことが、したくなっただけ、だからだ……」
そう、性欲は後だった。
最初はただ、純粋に一緒にいたかった。
それだけだ。
そこに、宗氏が潮に対する気持ちと違うものがあるのだろうか。季肋にはわからない。
この言葉が彼の答えになってるのかさえ。
「……そうか」
「……輝矢」
「――――――もう、帰ろう。ご飯に間に合わなくなる」
ゆっくりと宗氏が立ち上がる。
季肋に向けられた背中は凛として美しいものだった。
「……衣川」
「……」
「ありがとう」
そう言った彼の顔がどうだったのかは、季肋にはわからなかった。
「さぁ、行こう」
宗氏が歩き出す。
ゆっくりと、
「……輝矢!!!!!」
「さぁ、行こう」
宗氏が歩き出す。
ゆっくりと、
「……輝矢!!!!!」
帰路へと向かおうとした時だった。
クラクションと、ブレーキを踏む音が聞こえた。
チカチカと眩しい程の光。
体を咄嗟に動かそうとするには遅すぎた。
「……」
こんな時でも、自分は、
死ぬかもしれないのに、
思い出すのは、父ではなく、たった1人の笑顔だけだった。