小さな祈り

 悪くなくても「ごめん」と謝るその姿を父親に重ねていた。
 泣けばいいのに、
 八つ当たりすればいいのに、
 文句を言えばいいのに、
 そうされたところでこちらがどうすることも出来ない事が解っていても、
 『悲しい』も『寂しい』も飲み込んでしまう姿が腹立たしかった。
 遠慮がちで、人を寄せ付けない。
 かと思ったら、ズケズケと人の中に踏み込んでこようとしたり、
 こうと決めたらテコでも動かないその姿


   放っておけばいいのに、放ってない理由が解らなかった。



「……」


 ベッドの中で棗の事を考えて、目を閉じても眠る事ができない。
 どんどん眠りが深くなっていって、糖衣も心配していて、どうなるんだろうか、なんて考えていた時だった。
 布が擦れる音が聞こえた。

「……」


 最初は単に寝返りをうつ音だろうか、と思っていた。
 けれど、違う、と気付いた。
 誰かが起きる音が聞こえた。
 おっさんか?と思っていたが、逆の方向からで蜂乃屋か、と気付くのはすぐだった。
 トイレか何かか?と思っていたが、
 蜂乃屋はゆっくりと外へと出た。
 何してるんだ、とアイツ、と思って放って寝ようと寝返りをうつ。どうせ、すぐに帰ってくるだろう、と。
 しかし、待てども10分経過しようが、15分経過しようと、蜂乃屋は帰ってこない。

「……チッ」


 自分自身でも何してるんだ、と思う。
 けれど、気がつけば足は外へ向かっていた。
 何してるんだ、さっさと寝ろ、バカ蜂乃屋、と言ってやるつもりだった。
 それだけ、のことだったのに。
 寝床から少し離れた場所、そこで蜂乃屋は1人で夜空を見つめていた。
 上を見れば満天の星々。
 キラキラと輝くそれらはまるで歌うようで、きっと糖衣が見たら嬉しそうにするだろう。
 そう思うのに、何故かそれ以上に蜂乃屋から目が離せなかった。
 顔は見えない。
 笑っているのかも、泣いているのかも、怒っているのかも、
 ただ、その背中が寂しそうで、まるで消えるんじゃないかと――――――否、違う。


「……っ、蜂乃屋!」


 置いていかれそうで、つい声をかけてしまった。


「……あれ、琉衣。やっほー」
「やっほー、じゃねえんだよ、何してんだよ、お前は」
「……なんでいきなり怒ってるの?何かした?……オレ」
「……」


 そう言われては何も言い返せない。これは完全に八つ当たりなのだから。


「……何してんだよ、冷えるだろ」
「ん……星空が見たくて……」
「……」


 何も言い返せなくて、とりあえず来た理由の一つを言えば、真っ当な答えが返ってくる。
 確かにこれを見ないのは勿体ないのだろう。


「……棗のこと考えてるのかよ」
「……うん」
「……」
「それから、琉衣と糖衣のことも……」
「……ハァ?!」


 夜風が蜂乃屋の髪の毛を揺らす。
 月明かりが、横顔を照らし、その表情がよく見えた。


「前、関係ないって言われて、凄く悲しかった……」
「……お前らには関係ない」
「うん……でも、」
 自分で言ったことなのに、何故言い返さないのか、と思った。
 自分は勝手だ。
 間違った事は言って無い筈なのに、何故か蜂乃屋にはそれ以上を望んでいる。
 別に完璧なリーダーになってほしいわけじゃない。
 父親の代わりになってほしいわけじゃない。
 なのに、何故か自分の心は、それ以上を求める。
 他の人間とは同じように出来ない。
 年下だというのにキロや五十竹のように庇護することも、
 同じ班の仲間だと、棗のように尊重することも、
 夜半のようにどうしようもないヤツだと思う事も、
 わからない。
 糖衣と自分だけがいれば良かった筈なのに、糖衣を守れたらいい筈だったのに、糖衣だけが、自分のたった一つだった筈なのに、


 目の前の男は勝手に入り込んで、勝手に、自分でもわからない部屋を作ってそこに居着く。
 それが嫌なのに、追い出せばいいのに、追い出そうとすればまた嫌がる自分が。


 今だってそうだ。
 脳はそんなことはない、と言っているのに、心が―――――綺麗だ、と叫んでいた。


 その横顔が綺麗だと、素直に思えた。
 横顔がゆっくりとこちらを見て、


「琉衣、一度懐に入れたら、一生手放ししないし、大事にするって言ってくれた」
「………」
「………」
「……ハァッ!?」
「琉衣、一度」
「聞こえなかったわけじゃねえ!」
「……声がうるさい、みんなが起きる……」
「……っ」


 確かに言った。
 そう、言った。
 夜班のはじめてのツアーの時に。約束をしたらそれに縛られると、さよならを前提みたいなことをコイツが言うから。
 それをお前が言うのかと。  


「だから、ちょっとだけ、オレも……みんなに踏み込みたくなっちゃった」
「……」
「ごめんね」  


 そう言う顔は、本当に何にも思ってないようだった。
 多分、ただ申し訳ないと思ってるんだろう。
 なんでそんな顔をするんだ、と思い、口を開こうとする。
 でも、そんなのは傲慢だ。
 わかってる、突き放したのは自分で、関係ないと言ったのも、踏み込むなとも言ったのも自分で。
 でも、同時に、離れるなと思ってしまうのはなんでだろう。
 離れられたら、今度は――――――自分が、


「……っ……」


 冷静になれ、と自分の冷や水を浴びせる。
 糖衣以外の人間の手なんて、伸ばす必要なんてなかったのに。
 それでも、咄嗟に掴んだ。


「……琉衣?」  


 この手を離したら、後悔すると、本能が囁いた。  


「……青森の事は、悪かった」
「……え」
「まぁ、俺たちの事情はお前にはどうしようもすることができねえから、間違った事をしたとは思わねえ」
「……」


 相手には踏み込めと言いながら、自分は突き放し、
 相手の事情を曝せ、と言いながら、自分は事情を話さない。
 関係ない、と言われたら嫌がるくせに、関係ない、と言った。


 全部、全部、自分が嫌がる事をしておいて、『謝るな』だなんて何故言えたんだろう。
 相手に上手く寄り添いたいのに、蜂乃屋には上手く出来なくて、それは甘えなのか、それとも、我が儘なのか、あるいは、


「けど……」
「琉衣」
 何を言えばいいのか、わからなくて、言い淀む。
 そんな時、ふわりと、蜂乃屋が微笑んだ。
「……死なないで」
「……」
「オレには、琉衣も、糖衣の事情もわからないし、……夜鷹さんにも、何もしてあげられないかもしれない、だから、謝らなくていい」
「蜂乃屋」
「だから、死なないで」
「……それだけで、いいから」  


 どうして、
 どうして、お前の方が悪い、みたいな顔をするんだ、と言いたかった。
 そうさせているのは俺だってことくらいは解ってる。
 そうさせた理由もわかってる。
 でも、そんな何もかも諦めたような、それだけを祈る顔をしないで欲しかった。
 もっと欲張って欲しかった。


 ただ、――――――この手で笑わせたかった。


 この思いを、なんて呼ぶかなんて解らなかった。



 いっそ、泣いてくれたなら、その涙を拭う事ができるのに。



 

夜鷹フィーチャーイベの夜の話。2人(とダニー)が同じ部屋だったのでつい……