「はぁーだるー」
「いいからさっさと手を動かせ」
たった二人しかいない教室の中、金属と金属が重なる音と紙を捲るような音が響く。
それはアラタがプリントを重ねて、ハルキがホチキスで止める音だった。
本来ならば、それは学級委員長の仕事であり、ハルキがユノとする仕事だったのだが、
第四小隊がウォータイムに出る事が決まった為、ユノに借りがあるアラタが急遽代理にされた。
最も、チョコレートパフェとどっちがいい?と言われたら誰もがハルキの手伝いをかって出るだろうが。
「わぁってるよ」
夕焼けによって赤く染まる教室の中でたった二人でほとんど会話もせずに手を動かす。
そんな作業と続けて、楽しいはずがない。
アラタはいつもハルキとユノはこんな仕事してて大変だなと内心思いながら、早く終わらせる為に手を動かす。
やっと最後の1人分を作るだけ――となった時だった。
「…っ!」
「アラタ?」
紙に掠ったせいで右手の人差し指を切ってしまった。
「……どうかしたのか?」
「…ってて、手切った」
「見せてみろ」
「あー大丈夫だって」
大したことないからと言ってアラタは言うが、実際見てみると縦に皮が綺麗に切れて、血が流れていた。
ティッシュを取り出して血を拭き取るものの、すぐにまた新しい血が傷口から溢れかえってしまう。
その上、大丈夫と強がったが、実際はある程度痛みを感じた。
しかし、この程度の傷なら別に手当する必要もないだろうとアラタは考えた。
「そんな事よりも…」
それよりも、問題は血に染まってしまったプリントだった。
人数分しか刷っていない為、血に染まってしまったそれは新しくすらなければならない。
だとしたら、ハルキの仕事が増えるのは必然だった。
「このプリントどう―――」
「そんな事じゃない」
どうしようか?
申し訳なくも、泣くわけにもいかず笑って言おうとすると、強い口調でハルキが口にした。
「え?」
その言葉にアラタは驚いてハルキを見つめた。
「見せてみろ」
「って……ちょ、」
そう言ってアラタの右手をハルキは握って人差し指を見た。
見ると、血が滴る―――とまではいかなくて、大量に流れていて見るからに痛そうだった。
「見てみろ、ちゃんと手当しろ」
「え?」
「いいから早く―――」
そう言ってハルキはアラタを手当しようとする。
だが、アラタはハルキの緑色の瞳が何だか自分を責めているように感じて居た堪れなくなる。
「だ、大丈夫だって!なめておけば治るって!」
何よりも、これ以上ハルキに心配されたくない、
否、咎めるような瞳で見られたくなくて誤魔化すように言う。
「……舐めておけば?」
「そ、そう!だからそんな気にするなよ!」
無理やり作った笑顔でアラタは必死でそう口にする。
アラタはとにかく、ハルキの視線から逃れたくてしょうがなかった。
怒られているわけではないが、静かな怒りを感じるその姿が怖くてしかたない。
「……そうだな」
その為、ハルキからそう言われた時は安心して肩を撫でおろした―――が、
「…っ!」
その直後、指先からしびれるような感覚が伝って全身を襲う。
何だろうかと思っていると、
「は、ハルキ!?」
「何だ」
「な、何だって―――」
アラタは自分の指先を見て、驚いた。
何故なら、あのハルキがイチゴのように赤い舌を出して、アラタの指先を舐めていた。
傷口にハルキの舌の感覚が伝わり、痛みと舌の柔らかさ、そして羞恥心でアラタの頭の中がパンクしそうになる。
「……舐めれば治るんだろう?」
「……っ」
その言葉にかなりハルキが怒っているという事を察する。
アラタは硬直してしまうが、ハルキはそんなアラタを気にする事なくアラタの傷口を舐めようとして―――
「っ…て、手当する!手当てるするから赦して下さい!!」
今にも泣きそうな声で叫ぶ。
それを聞くとハルキはやっと、アラタの指から顔を離して
「はじめからそう言えばいいんだ」
と言う。
「うぅ…」
その言葉に反論する事も出来ずに、アラタは恨みがましい顔をしてハルキを上目遣いで睨みつける。
だが、ハルキは気にすることなく、
「ほら、手を出せ」
鞄から取り出した絆創膏を手に催促する。
もう抵抗しても無駄だと悟ったアラタは今度は素直に手を出してハルキの手当てを受けた。
「まったく……」
「やっぱり、怒ってる?」
「ああ」
その様子におそるおそる尋ねると、やはり仕事を増やしてしまった事が気に入らないのだろうと思えてしまう。
だが、ハルキはそんな事は一つも思っていなかった。
「お前が手をぞんざいに扱ったのがな」
「…え?」
考えてもいなかった事を言われて、アラタはただでさえ大きな薄紫色の瞳を更に大きくした。
「…プリントなんてどうにでもなる。血がついたのも仕方無い事だ。
でも、この手は……お前の大事な手だろう」
「……ハルキ」
そう言って、ハルキはアラタの手を包むように握った。
「そんなことなんて言うな」
「……」
まっすぐに見つめられてそう言われてアラタは恥ずかしそうに頬を赤らめた。
「お前の手で多くの人間が救われてるんだ、ヒカルも、サクヤも……勿論、俺も」
「……」
「大事にしろ」
「……うん」
そんな風に言われたらもうアラタは頷くことしか出来ずに素直に返事をした。
「よし」
ハルキはアラタの返事を聞いて、今度こそしっかりと手を離した。
それでも、アラタの手にはハルキの手のぬくもりと、さっきの舌の感触が残っていて、
同時に言われた言葉が嬉しいような、はずかしような気持ちにアラタをさせた。
「それじゃあ、続きをやるぞ……アラタ?」
「……っ、お、おう!」
もっとも、夕焼けのお陰で、ハルキに頬が赤くなっている事は気付かれなかったけれど。