吉條七緒という少年は双子の弟に憧れている人物で、いつも弟の隣にいる子だった。
誰がどう見ても、弟に恋をしているような人物だった。
その笑顔は誰がどこか目が離せない輝きがあって、とても可愛くて、同時に自分は近づけないものだとずっと思っていた。
「蛍先輩」
それでも、蛍なりに七緒が気をつかっていてくれるのだという事は解っていた。
自分の姿を見ると駆け出してご飯を食べようと言ってくれて、千紘ほどではないにしろ尊敬してると言ってくれて、同じ筆者の本を読んだり、一歩引いた自分の手を引いて輪に入れてくれようとしてくれているのが解った。
弟を見る度に早く、気持ちに応えてあげたらいいのにと思っていた。
だから、思いもしなかった。
「俺、蛍先輩の事が好きです」
いつも笑っている顔が、大好きなのに何故だろう。
ぽろぽろと涙を流すその姿が綺麗だと思った。
蛍を捕らえるイエローダイヤモンドはこんな時でも綺麗だった。
「いちばん、好きなんです」
言われた言葉の意味がわからなくて、七緒をじっと見つめていた。
その時、蛍はなんて答えたら良かったのだろうか。
はじめに、胸が痛んだのは友人に笑いかける蛍をみた時だった。
「あ、ほたるせんぱいだ!」
「……え」
その頃の蛍はまだユニットに馴染めてなくて、自分と彼の間には確かな壁があった。
「ちょ、央太、おまえなに考えて……」
走り出す央太を止めようとして、手をのばすけれども運動神経の良い友人に手が届くはずもなく、宙を掴むことしかできなかった。
「……ほたるせんぱい、こんにちは!」
「……」
なにやってるんだ馬鹿。と内心思った。
でも意外だったのはその先だった。
「こんにちは、橘君。霞ならもうすぐ来るんじゃないかな」
「……え」
「本当?えへへ、ほたるせんぱい、相変わらず優しい!」
オレ、ほたるせんぱい大好き。と口にする友人の姿になぜか冷や水を頭からかぶせられた気がした。
「あっ……そういえばのど飴でよければあるよ」
「本当ですか!?ください!」
「ふふ、いいよ。どうぞ」
「わーい!」
そう言って微笑む蛍。
その姿を見て仲の良い先輩後輩だと思う人は何人いるだろうか。
少なくとも自分はそう見えた。
蛍は、自分のユニットの先輩なのに。
そう思うのに、余程央太の方が蛍の後輩のように見えたのだ。
「おいしい!」
「ならよかった」
「ななお、ななおも貰ったらいいよ!」
「……え」
そして、微笑んでいた蛍の顔が固まったのが解った。
「吉條君、こんにちは」
央太へと向けられてた笑顔とはぜんぜん別の物。
「こんにちは、蛍先輩」
どうして、そんな顔するの。そう思わずにはいられなかった。
胸がじくじくと傷む。
苦しくてどうしようもなくて、でもそれは気のせいだと結論づけた。
蛍を見ると、内心いらいらしてどうしようもない。
いつも人の目を気にするようなその姿は千紘の双子の兄だと想えなかった。
同じ血が繋がってるとは到底想えないほどに。
千紘さんは凄い。
ダンスも演技も努力もなにもかも凄い。
格好良いし、千紘さん以上の人なんていない、そう思っていた。
だから、周りの人間が蛍先輩が大したことがないというのは正直同じように思ってた。
卑屈で、自信がなくて、確かにそれなりに実力はある人だと思う。
でも、千紘さんが言うような実力があるように思えなかった。
正直いって、血縁故の贔屓目だとしか想えなかった。
それが嫉妬だと解っていても、自分は彼を無意識に遠ざけていた。
口では仲良くなりたいと思いながら、それでもそうせざるをえなかった。
でも、そうじゃないと思うように……否、理解したのはいつからだっただろうか。
好きになったものを全部奪われる感覚。
千紘さんは凄い。
千紘さんは格好良い。
千紘さんは特別。
そう目を輝かせた日々。
負ける方が悪い、とはっきりと言えた幼い自分。
それを言うには余りにも輝崎蛍という人間は優しすぎて、それを口にするのは余りにも残酷すぎた。
多分、双子の弟はただ、兄が大好きで大好きでどうしようもなかっただけだった。
兄が好きだから。
兄が目指してるから。
兄が行きたがってるから。
無邪気に全部まねして、兄の居場所を奪って。
そして、弟はやっと気付いた。
そんないくつもの純粋な好きのせいで、兄がどれだけいろんな物を諦める事になったのか。
全部、全部、本当は自分のものだったのに周囲から偽物に見られる。
そして真実になった弟は無邪気に言うのだ。
「どうして諦めるんだ」と。
偽物になるしかなかった真実は馬鹿にされるくらいならそれでいいと口にする。
さげすむようになる。
なにも知らない人間は蛍の努力が足りないとなじる事だろう。
でも、自分もやっと気づけた。
ああ、自分もーーー周りと何一つ、代わりはしないのだと。
解ろうとしてなかったのは自分も同じだった。
優しい言葉を口にして、適当に薄っぺらな嘘をつき、壁を作ってたのは蛍ではなく自分のほうだったと気付かずにはいられなかった。
ずっと嫉妬してた。
だって、自惚れてた。
中等部で自分の次に、だなんて千紘に言われて肩を並べるのは自分と勝手に思っていた。
でも、そうじゃなくて、千紘がずっと見つめていたのは蛍の背中だった。
蛍の背中を見て、勝手に実力不足と決めつけて、彼の良さなんてなにも気付こうとしなかった。
そのくせ、笑ってもらえる相手が羨ましいだなんてどの口が言えたんだろうか。
自分の汚いところ、受け入れて正面から見た時、この人をよく見ようと思った。
優しくて、誰にでも優しくて。
太陽のように笑う千紘さんと違って、月のような優しさでひっそりと笑う。
控えめだけど、強くて。
千紘が他の後輩を可愛がっても特に気にする事なんてないのに、蛍が可愛がる姿を見るのは、なんだか心が苦しかった。
見ていると胸が高鳴って、苦しいくらい締め付けられた。
――――――――ああ、彼の事が好きなのか。
まるで他人事のように。
けれど、一番しっくりと行く答えを導き出して、七緒は納得した。
友人は恋は至福の苦しみだと言った。
凄く辛いけど、幸せで、傍にいると嬉しくて、自分が辛くても相手に笑っていて欲しいのだと。
その気持ちが今ならわかる気がした。
あの月明かりのように優しい笑顔を護りたいと思った。
例え、それが―――自分にとって、凄く辛い事だとしても。
それでも、あの人に笑っていて欲しい。
そう、心の底から思わずにはいられなかった。
近づきたい。
あの人の隣に立ちたい、と思った。
千紘の隣に立つのとは別の意味で。
「いやぁ、特に用はないんですけど。グラウンドから蛍先輩が見えたんで、走ってきちゃいました」
少しでも傍にいたい。
友達のように傍にいられたらいいだなんて思えなかった。
振り向いて欲しいと思った。
例え振られてもいい。身体を重ねられなくても。思いを受け入れられなくてもいい。
ただ、優しく振って欲しかった。
姿を見ると駆け出して、
「タハハ、借りようとしてた本、おんなじ作者ですね」
蛍の事が知りたくて、彼が最近借りてる好きだと言ってる作者の本を借りたりもした。
1ページ1ページ捲るたびに胸が高鳴った。
「今日は、俺、蛍先輩のところ泊まりたいなぁ~」
甘えて、どこまでも懐にいれてほしかった。
好きになってなんて貰えないって解ってた。
でも、一番可愛がって貰ってる後輩でいたかったのだ。
言うつもりなんて、本当になかった。
自分は一生あの人につき合う事も、唇を重ねることも、体が交わることも、ましてや愛の言葉を貰う事もきっと出来ないしあきらめている。
なのに、
そう、余りにも蛍先輩が綺麗に笑うから。
千紘でも百瀬でも葵でも、クラスメイトでもなく、自分に向かって笑うから、涙がこぼれて、嬉しくて、
つい、言葉が出てしまった。
「俺、蛍先輩の事が好きです。いちばん、好きなんです」
そう言われて、回されたその手は優しくて、七緒は自分の涙の海に溺れて、蛍がなんて口にしたのかわからなかった。