吉條七緒という少年は双子の弟に憧れている人物で、いつも弟の隣にいる子だった。
誰がどう見ても、弟に恋をしているような人物だった。
その笑顔は誰がどこか目が離せない輝きがあって、とても可愛くて、同時に自分は近づけないものだとずっと思っていた。
「蛍先輩」
それでも、蛍なりに七緒が気をつかっていてくれるのだという事は解っていた。
自分の姿を見ると駆け出してご飯を食べようと言ってくれて、千紘ほどではないにしろ尊敬してると言ってくれて、同じ筆者の本を読んだり、一歩引いた自分の手を引いて輪に入れてくれようとしてくれているのが解った。
弟を見る度に早く、気持ちに応えてあげたらいいのにと思っていた。
だから、思いもしなかった。
「好きです」
いつも笑っている顔が、大好きなのに何故だろう。
ぽろぽろと涙を流すその姿が綺麗だと思った。
蛍を捕らえるイエローダイヤモンドはこんな時でも綺麗だった。
「いちばん、好きなんです」
言われた言葉の意味がわからなくて、七緒をじっと見つめていた。
その時、蛍はなんて答えたら良かったのだろうか。
「……吉條くん」
「……っ」
「あのね」
「……」
ゆっくりと顔を上げた。
そして、涙を浮かべた瞳が蛍をじっと見つめていた。
「……よく見て、俺、蛍の方だよ」
「っ…」
「千紘とまちがえ…」
その瞬間、七緒の目が見開いたのが解った。そして、蛍の頬に小さな手が添えられて、そして――――――。
「…っ」
ガリッと噛むような、歯と歯がぶつかるような、痛みが口に走った。
「……吉條君?」
「好きです」
「……え」
「蛍先輩が好きです」
そう言った顔は涙がぽろぽろと溢れていて、いつも笑っている七緒の顔しかしらない蛍はどうしたらいいのか解らなかった。
そして、踵を返して走って行くその背中を見て、慌てて追ったけれど、その背中は、すでに見えなくなっていた。
「ひっどいかおだね☆!」
人を見るなり、そう言う央太に七緒は殴りたい気持ちになった。
「自分が一抜けしたからって好き勝手言うな……」
「なになに?とうとう振られたの~?」
全部解っているかのような言い方に、七緒は本気で拳を作り殴りたくなった。
親友といっていいのかは解らないが、それでも央太は全て解ってる。解ってるのだ、同じだから。悪友のような、腐れ縁のようなこの相手は全て見抜いていた。そのキャッツアイで。
だが、怒るのも馬鹿くさくて、はぁとため息を吐いて七緒は席に着いた。
「で?」
「……うん?」
「うーん?いや~、オレ達の学年でも別格のななおがとうとう、根をあげたんだな~と思って」
「……っ」
その言葉に七緒は手を強く握った。
とはいえ、KYと散々馬鹿にされる央太だが、これで実は空気を読める奴だ。
「演じられなくなったんでしょう?」
何より、全部バレている。当たり前だ。七緒と央太は映し鏡のような存在だと思ってしまう。
お互いの事が嫌でも解ってしまう。
千紘に憧れた自分と、椿に懐いた央太。
計算して”やっと”相手の懐に入る事が出来る自分と、無自覚で皆に愛される央太。
央太になりたいと思った事は一度もない。
でも、羨ましいと思った事なら何度もある。
あの人が頭を撫でるたびに、あの人が名前を呼ぶたびに、自分に向けられるものよりずっと優しくて、自然で、どうして自分に向けられないんだろうと思った。
お前は皆に愛されているじゃないかと思った。
でも、その理由はわかってる。
自分にとって『あの人』は、千紘を通してじゃないと見ていた相手だった。
嫉妬の対象だった。
だって、ずっと隣にいたかったから。
千紘に意識してほしかった。憧れの人に振り向いて欲しかった。
だから、あの人が悪いわけじゃないのに勝手に彼を大した事ないと言って、下げて、そして――――――
でも、同じだと解ってしまった。
「ただの、ヒガミですって!」
周囲が蛍に文句を言う度、馬鹿にするたび、自分で違う違うと思い続けていた。
千紘のほうが凄いと。
でも、そんなの何の違いがある?
周囲と自分は違わないんだって解ってしまった。認めたくなかったから。自分の価値が全部なくなってしまうようで。
でも、優しいあの人のほうがずっと、ずっと――――――
「蛍先輩がすごいから……今まで誰も追いつけなかった千紘さんに、並べる人だから」
全部言った瞬間、それでもあの人は笑ってた。
寂しそうに、泣きそうな顔で。その顔が余りにも辛そうで、でも、それでも、最後の最後まで優しい顔をしていて。
「……どんな理由があっても、俺の為じゃなくても。千紘と違うってはっきりと思ってくれるの、俺は、嬉しいから」
ああ。
この人は全部解ってるんだと思った。
汚い自分の感情も、嫉妬も、それでも、優しくしてくれるこの人を馬鹿にしていた自分を恥じた。
そして、やっと自分は蛍を見つめた。
キラキラと輝くその人を目で追った。
諦めたくないと思った。
凄いと、尊敬してると、今度こそ言いたかった。
でも、それで抱いたのは――――――
「で?」
「なんだよ」
「何て言われたの」
「……」
言いたくない、と言おうと思ったが、自分も央太の時に口出しした立場である以上何も言えない。仕方ないので
「…違うって」
「うん」
「千紘先輩と、」
そう言って涙がまたこぼれた。
「間違えてるって」
「……そっか~」
そう言うと、央太は七緒の腕に触れて、そしてそっと自分の隣の席に座らせた。
座るとまた泣きそうになった。
「それじゃあ、まだ振られてないね!」
だけど、央太はそう言った。
「え……」
何こいつ、と心底思った。
「いや~だって、中等部にいたとき、そうじゃないって言ってるのに皆『七緒は輝崎先輩が好き』とか『抱かれてる』とかいう噂あったし」
「……そんなの初耳なんだけど…」
「らんまにでも聞いたら?」
「……聞けるかよ」
そう言ってクスクスと央太は笑った。
「まぁさ、それくらいななおが好きになるとしたらちひろせんぱいだろうなってみんな思ってたんだし、みんな、ななおはきさきしんじゃって思ってるじゃん」
「それは……」
「だから、ほたるせんぱいが」
そう言って、七緒を央太はじっと見つめた。
「ななおに好きって言われて違うって思うのは仕方ないと思うよ」
「……」
その言葉に、七緒はその通りだというのと同時に、何も伝わってなかったのかと思った。
「……オレ」
「うん」
「これでも、蛍先輩に振り向いてほしくて」
「うん」
「千紘さんのことは尊敬してるけど、蛍先輩に対してはそういうんじゃなくて」
「うん」
「そばにいたくて」
「……うん」
「すきに、なってほしくて」
「……ん」
「はじめてだった」
「……」
「計算でもなんでもなくて、姿を見たら走って追いかけて、元気を出して欲しくて、一緒にいたくて、もっと知りたくて、知って欲しくて」
「……」
「同じ本読んだり、部屋に泊めて貰ったり、ぬいぐるみ送ったり……」
「……」
「グラウンドから全力で走って屋上にいるあの人を追いかけたり、温泉行った帰り、もっと一緒にいたいからお土産コーナーに誘ったり」
「……うん」
「他の人から一歩引くからっ」
「……」
「嫌で、それが嫌で、ただ……」
「……」
「ただ、いっしょに、いたくてっ……」
そう言った自分が、本当に吉條七緒なのだろうかと思った。
こんな情けなく泣く自分が自分だと思いたくなくて、まるで子供みたいで、でも、央太が撫でてくれるその手が優しくて、
「ごめんね、ななお」
「……」
そのごめんね、の意味がわからなかった。
小さく、「オレで」と聞こえたような気がしたが、よく聞こえなくて、七緒はただ泣いていた。
「…いちねんと、さんかげつ」
「……」
「オレと、ななおが片思いしてた時間って短いようで、すごい長いよね」
そう長かった。
だってまだ自分達は15年とちょっとしか生きていないのだ。
「オレたちは、やくしゃだからさ」
「……」
「えんじるのをやめたら、そのぶたいから降りなきゃ」
「……解ってるよ」
「うん、でも――――」
そう言って、キャッツアイが人を試すように笑った。
「でも、ななおはさ、逃げられてないじゃん」
「……」
「なら、追いかけなきゃ」
「……なんだよ」
好き勝手言うなよな、と口を開こうとした時だった。
「トップ・オブ・トップ、目指すんだろ?」
「……っ」
それとこれは違う、そう頭では解ってるのに、それでも七緒に央太はじっと見つめて口にする。
「なら、ぶたいから降りたなら、もう振られる覚悟で相手に伝えるしかないんじゃない?」
好きな事を言ってくれると思った。
でも、七緒は央太には何も言えない。
だって、央太の事を知ってるから。
目の前の相手が、自分よりもずっと辛い恋をした事をしってる。その恋の結末も知ってる。
それに少しだけ自分が絡んだことも。
だから――――――
「本当、お前って自分勝手だよな」
「うん、そうだよ」
応えるしかできない。
「見てろよ、……吉條七緒様の事を!」
精一杯の強がりで、そう言って笑うのだ。
「うん」
イエローダイヤモンドの挑戦をいつだってキャッツアイは受けて光を反射させて。
「特等席で七緒のこと見てるよ!」
だから、例え苦しくても自分は強がって、また舞台を始めることしか出来ない。
自分達は、そうしなければ生きていられない『生き物』だから。
自分の好きになる子は小さい頃から、千紘が好きだった。
何度、『蛍君の方?顔はいいけど、千紘君と大違い』と言われた。
「……」
自分は千紘と大違いだ。
だから、千紘のほうがみんな好きになるのは解る。
とはいえ、千紘は過去のトラウマのせいで女性が苦手だったので誰も『恋人』の座に納まる事は無理だった。
だから、千紘が七緒に優しい目をしていて、七緒もキラキラと千紘を見ているのを見て、「ああ、二人は想い合ってるんだな」と正直思っていた。
だから、自分は――――――
自分が彼を好きになってはいけない、と。
そう思ってたのに。
勘違いだよ、と言ったのに。なのに…どうして、
「……オレなんて、好きになってもいいことないのに」
唇に触れて、痛みを思い出す。
歯と歯がぶつかって、正直気持ちの良いものじゃなかった。それでも想いの丈だけは伝わった。
千紘の方が――――――そう思ってると、頭上から声が聞こえた。
「……蛍だっていいところ沢山あると思うけどなぁ」
「え」
「ただいま、蛍」
たったいま帰ってきたのだろう。手を軽くあげて入ってくる百瀬に、「櫻井先輩お帰りなさい」と慌てて蛍は挨拶をした。
「あはは、いいって畏まらなくて」
「すいません、考え事をしてて……」
「告白、誰にされたの?」
「っ」
「ごめん、聞こえちゃった」
ニコニコと笑う百瀬に蛍は顔を真っ赤にして凝視する。
「……」
蛍は百瀬が好きだ。
こういう兄になれたら、と思う人そのものでとても優しい。
たった一歳しか違わないのにどうしてこの人はこんなに優しいんだろうといつも思う。
何より、千紘と蛍をはっきりと区別してくれる数少ない人だからだからだ。
そして、この人が興味本位にあれこれ言う人じゃないということも蛍は知っていた。
「……嫌なら言わなくてもいいし」
「……誰にも、言わないでくれますか」
「勿論」
言わなくてもそんなつもりがないと解りつつも、お約束を口にして蛍は口にした。
「あの」
「うん」
「……吉條くんに、言われたんです」
「え、ナナに?」
「……はい」
驚きますよね、と言いながら、
「『いちばん、好きなんです』って……」
「で?」
「……」
「蛍は、なんて言ったの?」
「………千紘じゃないよ、って」
「……」
「きっと、間違えてると思ったんです。双子だし、吉條くんは、千紘のことが、」
そう言って、胸にちくりと痛むのを無視しながら、蛍は告げた。
「好き、だから……」
「それで?」
「……え」
「ナナは何したの?」
「……」
「……」
「……」
じっと百瀬の瞳が蛍を見つめていた。
蛍は言うか言わないか迷いながらも、それでも言った。
「キス、されました」
「……」
「泣いて、オレの事が好きだって……」
「……」
「一瞬、どうしたらいいのか迷って、部屋に行ったけど、いなくて…それで……」
「それで、戻ってきたの」
「……はい」
優しいその声が、逆に攻められているように感じた。
優しい百瀬がそんなことをするわけないのに、と解りながら。
「…あのさ、蛍」
「……」
「ナナは、蛍とちっひーを間違えたりしないよ」
「はい」
「でも、蛍は」
「……わかってます」
「……」
「でも、信じられなかった。だって、吉條くんは、」
そこまで言って、蛍は目を瞑った。
瞼の裏に思い浮かべる七緒はいつも千紘の隣にいた。
千紘を見つめ、頬を赤らめる姿はどうみても千紘に恋をする姿にしか見えない。
「千紘の事が、好きだって思ってたから」
「……」
蛍は七緒と出会った頃を思い出す。
憎々しげに自分を見ていた七緒の双眸。
自分に嫉妬する必要などないのに、個人の実力で認められているのに、何故自分に嫉妬なんてするんだろうと思った。
千紘をいの一番に考えるその姿に内心惹かれながらも、それでも、彼は千紘のモノだから、と決めつけていた。
なのに、
「……どうして、オレなんだろう」
「……」
「オレは優しくもないし、千紘みたいに何でも出来るわけでもないし、格好良いわけでも、ましてや実力だって…」
「そんなことないと思うけどな~」
「……百瀬先輩」
「ねぇ、蛍」
「は、はいっ」
「なら、聞いて見たらいいんじゃない?」
「え?」
「ナナに」
「いや、それは」
さすがにそれはどうなんだ、と思ったけれど、百瀬は口にする。
「まぁ、正直、驚いたよ。ナナが蛍に告白したって聞いて」
「……ですよね」
「でも、ナナがちっひーを選ばない理由なら解るよ」
「……え?」
「その理由はオレからは言えないけど」
「…え、ちょっと、櫻井先輩、それってどういう……」
「解るのは、ナナならちゃんと応えてくれるよ。蛍がどういう答えを出したとしてもさ」
「……」
そう言って、蛍の腕を掴んで百瀬は蛍を立たせた。
そして、優しく背中を叩く。
「……先輩」
「いっておいで」
「……」
「もしも、どんな結末になっても、オレは蛍の味方でいるよ」
「……はい」
ありがとうございます。と頭を下げて、蛍はドアノブに手をかけた。
蛍の背中が去っておくのを見て、百瀬はため息を吐く。
そして、
「……ごめんね、ちっひー」
ぽつりと呟く。
この後、多分二人は付き合う。
でも、そうなったら、そこまで百瀬は考えて、葵にまた迷惑をかけるな、と思った。
どこにいるんだろう、と思っていると、蛍は通りかかる霞の背中を見た。
「霞!」
「蛍、どうかしたのか?」
「…あの、吉條くん、しらない?」
「吉條?いや、知らないけど……部屋にいないのか?」
「さっき、見たけど、いなくて……」
今はもしかしたらいるかもしれないけど、と思いながら向かうか、と思っていると霞が何かを考えているようだった。
それからそっと蛍の手を握った。
「もしかしたら……」
「?」
「……まぁ、蛍だし、大丈夫だろ」
「え?」
「蛍」
「なに?霞」
「こっち」
そう言って、霞が歩き出す。
「え、何?」
「もしかしたらあそこにいるかも」
「え?」
「こっち」
そう言って、蛍は霞と共に森へと向かう。
「……」
「でも、珍しいな。吉條に何か用事があるのか?」
「用事……」
霞の背中を見ながら、蛍は考える。
自分は、七緒に会って何を言いたいんだろう。
百瀬の言うとおり、自分のドコが好きなのか聞けたとして、そして?
自分は七緒を、どう思っているんだろう。
千紘の隣にいる後輩。
でも
でも――――――そんなもの、取り払ったら?
そう自分に問いかける。
「蛍、こっち」
「……ここ」
「央太の秘密基地」
そう言って、舗装された通路からちょっとそれた場所に大木はあった。
「…」
「おーたー!!」
名前を呼ぶと「かすみくんだ!」と嬉しそうな声がした。
「かすみくん、どうかしたの?」
ぴょこっと、まるでトム・ソーヤや、くまのプーさんにでも出てきそうな木の家から央太が顔を出す。
「……」
すると、蛍の顔を見て、央太は「あ~」と何か気づいたようで、こちらにやってくる。
「…もう、かすみくん、ここはオレのひみつきちです!」
ぷんぷんと音が聞こえそうに怒る央太を見て「あ、ごめんね」と蛍は謝る。
「まったくだよ~」
「央太」
「だから、ほたるせんぱい」
そう言って、央太は蛍の肩に手を置き耳元に口を寄せた。
「責任とってね」
「え」
そう言って、背中を叩かれる。
「……オレ、ほたるせんぱいのこと信じてるから」
「え」
「…央太?」
「…ほら、帰ろ!かすみくん!」
そう言って、背中を向けた央太に、霞は何か察したのか笑って歩き出す。
蛍はどうしたら、と思いながらも央太が出てきた家へと向かう。
一歩一歩、体重をかけるたびに木が軋んだ。
そして、蛍は扉に手を掛けた。
「…ほたる、せんぱい」
ぽつりと呟かれた声が少しだけ鼻声だった。
泣いていたのか、と気づく。
「吉條くん」
顔をあげて、七緒が蛍をその瞳に映した。
「……蛍先輩」
ゆっくりと、七緒が蛍の前に立った。
イエローダイヤモンドが、蛍を見つめた。
「……はじめ」
「…」
「正直、蛍先輩の事が嫌いでした」
「……」
その言葉に、蛍は驚かなかった。
それは知っていた。
「うん、知ってた」
「……千紘さんに認められて、負けたくないと勝ちたいと言われた貴方が羨ましかった。そんな風に言われる人がどんな人なんだろうと同時に期待した。でも、」
「……こんなんでがっかりしたよね」
そう言う蛍に、七緒は顔をあげて、そしてじっと見つめて、それから首を横に振った。
「最初は、思いました」
「……」
「でも、本当は全部認めたくないだけだった」
「……そんなことないよ、吉條くんが言うとおり。千紘はなんでも出来るし、凄いし、それに…」
「それでも!」
「……」
そう言って、七緒は蛍の手を握った。
願うようにじっと見つめた。
その瞳はゆっくりと夕焼けにきらめいて、徐々に夜へと変化していく空の色に呼応して月の色へと変化していく。
「それでも、オレが好きになったのは蛍先輩なんです」
「……」
「千紘さんの隣に立つ実力がある貴方が羨ましくて、自分の汚い感情が嫌で。でも、同時に、それでも、蛍先輩は綺麗で」
「……」
「優しくされるたびに、蛍先輩に笑って欲しいって思った。もっと近づきたいって思った」
「……」
「千紘さんにはこんな事思いません」
「……吉條くん」
月の雫でぬれた目が蛍に訴える。
全身で好きだと。
「姿を見ると、心臓がドキドキして、走り出す自分なんて蛍先輩に会うまで知らなかった」
そう言われていつも自分を見ると走ってくる姿を思い出す。
顔を真っ赤にして、息を切らすあの姿を。
「好きです、蛍先輩」
そう言った相手に、蛍はなんて最低な事をしたんだろうかと思った。
「……うん」
綺麗だと思った。
ずっと、蛍は幼い頃から我慢していた。
声優になりたかった。
アニメを見て、こんな風に演じられたら、と思った。
でも、それを辞めた。
千紘が同じ夢を見たからだ。
同じモノを好きになって、先に何でも好きになっても千紘に奪われていく。そして周囲から「真似をする蛍」と思われる。
自分だけの何かが欲しかった。
千紘に比べられない何かが。
けれど、赦されるのなら。
この子が願ってくれるなら、奪ってもいいんだろうか。
千紘は怒るだろうか。
そう思ってしまうけれども、この手をはねのける事が出来なかった。
もしかしたら永遠にこの子の一番になることは出来ないかもしれない、二番になるかもしれない。
それでも、
だとしても、好きだと言ってくれるなら応えたいと思った。
そっと蛍は七緒の頬に触れた。
そして、今度は――――――
「……」
「……」
唇と唇がしっかりと触れた。
夕焼けは沈み、月明かりがゆっくりと二人を照らす。
胸を張って好きと言えるかどうかは解らないけど、それでも、手放したくないと思った。
一緒にいたいと。
それを、恋と呼べるのなら自分は――――――
「好きだよ、吉條君」
そう言うと、目を丸くさせて、抱きついてくるこの小さな存在を、蛍は心の底から護りたいと、願った。