夢を見る。
自分を殺す、夢を。
昔からよく見ていた夢。
小学六年頃から見始めたその夢の結末を、自分はよく知っていた。
「蛍くんってどうして千紘くんの真似をしてるの?」
毎日のように聞き続けたその言葉。
嫌で嫌でどうしようもなく嫌だった。
いつもそう。
最初に始めたのが自分であっても、誰もが「千紘が最初に始めたことを蛍が真似た」と思う。
違う、違う、違う――――――っ!!
そう叫びたいのに叫べない。
そうなんだと演じることしか出来ない。
だから、自分は今日もまた蛍を殺す。
ゆっくりと、
目の前の自分に首をかけて、それから力を込めた。
そうして、地面に押し倒して、ゆっくりといつの間にか海へと変わっていたそこに沈める。
そして気づく。
本当に殺したかったのは――――――
でも、その日は違っていた。
「ほたるせんぱい」
優しく微笑んだその顔。
それは――――――
「っ!!」
間違えなく、自分の恋人のものだった。
「……うん……蛍?」
飛び起きた蛍に気づいたのか隣のベッドに横になっていた百瀬が体を起こす。
「どうしたの、大丈夫?」
「……」
大丈夫です、と言おうとするが喉が渇いて声が出なかった。
百瀬は蛍を見ると、ただでさえ白い肌が更に青白く、多量の汗がぽたぽたとシーツに落ちていくのが見えた。
「蛍……」
心配そうにする百瀬を見ながら、ああ本当にこの人は優しい人だなぁと思った。
誰にも言えない。
自分が、夢の中で弟を殺してるなんてこと。
だけど、今日自分が殺してしまったのは――――まったく別の人物だった。
「ナナ、行かないのか?」
「えっと…忘れ物しちゃって」
「なんだよ、それなら待っててやるから」
「い、いえ!千紘さんは先に行ってて下さい!」
そう言って渋る千紘に行って貰う。
たった数分の出来事。
でも、それでも七緒にとってはかけがえのない大事な時間だった。
「!」
待ち望んでいた人影を見て顔を上げた。
「蛍せんぱーい!一緒にレッスン室行きましょー!」
そう言えば、蛍は一瞬驚いた顔をした。
でも、すぐに優しい顔をした。
「いいよ。寮が違うから、一緒に学園へ行く機会ってあんまりないよね」
「ですよねー!……ってやば!あと5分でレッスン時間の開始だ……!」
「急ごう……。一色先輩の説教は怖いから」
「タハハ!蛍先輩も葵先輩は怖いんすね」
そう笑って蛍と本当はもっと一緒にいたくて待っていたのに残念だ、と思っていた。
しかし、七緒はじっと蛍の顔を見た。
「……吉條くん?」
「蛍先輩…」
「うん?」
「顔色、悪くありません?」
「……そう、かな?」
「そうですよ」
すぐには気づかなかったが顔色が悪い。
血の気の引いたようなその色はただでさえ白い蛍の肌を更に青白くさせていた。
まるで今すぐ消えてしまいそうなその姿に七緒は心配でたまらない。
「……どこか具合悪いんですか?」
言って欲しい、頼って欲しい、自分も蛍を護りたい。
そう思って口にした。
それでも蛍は言ってくれない。
何か悩みがあるなら言ってくれたら、と思うのに、ただ一言、ごまかすように、
「ちょっと、夢見が悪かっただけなんだ」
そう言った。
「夢見?」
「そう」
「……」
そんなわけない、それだけでそんなに酷い顔色になるだろうか、と言いたいけれども言えない。
「ただ嫌な夢を見ただけだから気にしないで」
「……」
「本当、大丈夫だから、ね?」
「……はい」
ああ、結局自分は何も変わっていないのだと思わずにはいられなかった。
「……ねぇ、帰りに何処か行かないか」
練習が終わって、それでも練習中蛍先輩の事ばかり気になっていて、千紘さんがそう言うのを聞いた。
「近くで新しい甘味処が出来たらしくて…」
「本当か」
「あぁ、みんなも一緒に行かないか」
「いいねぇ、蛍とナナはどうする?」
「行きます!蛍先輩は……」
一緒に行こうと遠回しに言うと、
「……ごめん、今日はいいかな」
「えぇ~、そんな……一緒に行きましょうよ!」
「吉條くん……」
「蛍先輩……」
「ごめんね、今度また誘って」
皆で楽しんできて、という言葉に、ああ、拒絶された、と思った。
「蛍……」
「……」
「……あの……」
「そうだね、今日、蛍あんまり眠れてなかったみたいだし、今日は四人で行こうか」
「……百瀬?」
「今度、蛍も一緒に行こうね」
「……は、はい」
それじゃあ、行こうと半ば無理矢理強引に百瀬に七緒は連れられていく。
「……モモくん」
「ほら、行こう行こう」
「なんだ、櫻井」
「百瀬?」
「ほら、下手に行かないだなんて言ったら蛍は気つかっちゃうでしょ?」
「……あ」
そう言われて千紘はやっと合点がいったようだった。
七緒も。
「……ところで、ナナ」
「モモくん」
「おととい、お小遣いピンチだって言ってたけど甘味処って結構高いよ~?大丈夫?」
「……え」
そんな事言ってない――――――と思って理解した。
優しく微笑むこの人はきっと全部解ってる。
きっとそれなら残ると言おうとした事も、それで千紘と葵が今日は辞めようと言おうとするであろうことも。
だから、
「……そ、そうでした!今月激やばだったんですよね!」
「なんだ、それくらい奢ってやるよ」
「いやいや、千紘さんにそんなことさせられませんって!」
「そっか~なら仕方ないね…甘味処は三人で行こうか」
「……」
「でも……」
「そうだな、ちゃんとやりくり出来ていないんだ、仕方ないだろう」
「あはは……すいません!」
「……ナナ」
「その代わり、美味しかったら絶対に今度は食べに行きましょうね!蛍先輩も一緒に!!」
「そうだね、じゃあまずは市場偵察と行こうか」
「ああ、任せろ」
「……あぁ…」
そう言って千紘を連れて行く二人を見送って、それから七緒は踵を返した。
「あれ、蛍くん、どうかしたの?」
「光城くん……」
「顔色、悪いよ」
「……」
「どうかしたの?」
「……」
「良かったら話してみて」
「……夢を見たんだ」
「夢?」
「……大切な人を殺す夢を」
「……」
「オレは――――――」
練習室にいなくて、何処にいるんだろうかと思って探してると蛍先輩の声が聞こえた。
中庭のベンチに座ってる蛍に声を掛けようと顔を上げたら、そこには新多がいた。
「……何、話してるんだろう」
蛍は新多と仲が良い。
正反対の性格のように見えるけれどウマが合うらしく、よく話してるところを見る。
蛍は新多に憧れているのだと言っていた、でも本当にそれだけなのだろうかと思えてならない。
キスをしても、抱きめられても、本当は……本当は、蛍はただ気を遣ってくれただけで、自分の事を好きでも何でも無かったんじゃ無いかと思えてしまう。
「小学六年生の時、本当はね宝石ヶ丘に入学したいなって思ったんだ」
「……そうだったんだ」
「小さい頃から、声優になるのが夢だったから……だからそうしようって思って……でも」
「でも?」
「……千紘も入学するって聞いて…」
「……」
「千紘が悪いわけじゃない、でも、皆に言われる、どうして『千紘君の真似してるの?』って」
「……蛍くん……」
「だから、千紘から離れたかった。千紘を離れるために、あのとき、オレは夢を諦めたんだ」
「……」
「出来の悪い千紘じゃなくて、輝崎蛍になりたかったそう見て欲しくて、毎日のように夢の中で自分を殺した。諦めようとしたんだ」
「……」
そう言った手は震えていた。
唇も震えてるのが解る、声はどうだろうか。
それでも、不思議と蛍は新多の前では全て話してしまう。太陽のようなその存在に、惹かれてやまない。
自分がなれなかったもの、なりたくて仕方なかったもの。
「でも、殺した瞬間、死体は千紘になった」
きっと彼は自分の力不足を悔やむ事はあっても相手を憎む事なんてないのだろう。
MAISYの実力者は護や優那がいる。
でも、一度あのステージを見たら解る。
新多が真ん中にいるから作り上げられるキラキラとした輝かしい瞬間を。
自分はなれない。
Prid'sにいても、きっと自分がいなくても、千紘がいれば、葵がいれば、百瀬がいれば―――七緒がいれば、自分なんていなくても大丈夫だって、いらないって思わずにはいられない。
「自分はそれくらい千紘が嫌いなのかと、憎んでるのかと更に嫌いになったよ、自分を」
「……蛍くん」
「自分でも嫌いなんだから、人に好かれる筈ないよねって思ってた」
自分にはけして言ってくれない事を新多に告げる蛍を見て、七緒は胸が痛んだ。
自分には見せてくれない痛み、傷跡。
それに、やはり新多の事がすきなんじゃないだろうかと蛍を見ながら七緒は思わずにはいられなかった。
「……それでもいいって」
「……うん?」
「それでも、不出来な自分でもいいって言ってくれる子がいるんだ」
「!」
その言葉に七緒は反応した。
「好きだって、千紘じゃなくて俺の事が好きだって言ってくれる子は、千紘に憧れてて、本当は千紘を好きなんじゃ無いかって思うんだけどそれでも俺が好きだって言ってくれた」
「……」
「でも、その夢を久しぶりに見たんだ」
「え」
「もう、夢を見る理由なんてないのに、千紘に向き合うって、夢を叶えるって決めたのに」
そう言って、一拍置いてから語られた言葉は
「俺は、好きな筈のその子を夢で殺したんだ」
七緒はどう反応していいのか解らなかった。
「……蛍くんは、本当にその子が好きなんだね」
ぽつりと新多の言葉が聞こえた。
「え……」
「……あのね、前、ガミが言ってたんだ。人を殺す夢は吉兆なんだって」
「そう、なの?」
「千紘のことは、憎かったのかって言ったよね」
「うん」
「でも、今日見た子のことははっきりと好きだって解ってるんでしょう?」
「……」
その言葉に蛍は驚いた。
けれど、その言葉には素直に頷ける。
「―――うん」
その言葉に新多は嬉しそうに笑った。
「……好きな人を殺す夢はね」
「……え」
「好きな人を殺す夢は、良くも悪くも新しい関係に発展する夢なんだって」
「悪くも……」
「あはは、ようは良くしようと蛍くんが頑張れば上手くいくってことだよ!」
そう言って、新多は優しく背中を叩いた。
「ほら」
「……え」
新多に言われて向いたその先には、蛍の、好きな人がいた。
「……吉條くん…」
どうして、と思った。
千紘と一緒に行ったんじゃ無いかとか、そもそも、なんで新多が知って、と思ってると、「頑張って!」とまた言われた。
「……蛍先輩…」
「……吉條くん……その……」
自分を追いかけてくれたのかと思った。
千紘じゃなく、自分を。
「……」
ああ、どうしよう。
諦めようと思ってた。
本当はずっと、七緒が本当は千紘が好きなんだと言ったら、やっぱりそうなんだと。
今までそうしてきたように。
でも、駄目だ。
ずっと、探してた。
好きになる理由を。
輝崎蛍が、吉條七緒を、好きになって手放せないと言えるほど強い気持ちを抱いていい理由を。
カメラを映すようにレンズ越しに世界を眺めるようにそこにいれたら他人事でいられると思ったのに。
いつも彼は無くしたはずの、亡くそうとした感情を思い出させてくれる。
そして、毎日、好きになって、こうやって、諦められなくなるほどの恋心の質量が増えて、もう釣り合わない。
「ごめん、吉條くん」
「蛍先輩…?」
「本当は、もしも吉條くんがやっぱり違うって言ったら、手放せるようにって思ってたのに…」
そう言って、蛍は泣きそうな顔で七緒を抱きしめた。
「全部、欲しい」
「……っ」
「笑った顔も、泣いた顔も怒った時も嬉しそうな時も辛い時も、全部、君の事が好きだから、もう手放せない」
「……馬鹿」
「ご、ごめんね…」
「最初に言ったじゃ無いですか」
「……」
「オレが好きなのは千紘さんじゃなくて、蛍先輩なんだって」
「……うん」
「声優としての、役者としてのオレは千紘さんを一番憧れてるし、好きです。でも、」
「でも」
「それ以外の全部、蛍先輩にあげます」
「……いいの?」
「はい、だから、」
そう言って、イエローダイヤモンドが見つめていた。
「だから、蛍先輩をオレに下さい」
「吉條くん……」
「……今日、オレ、蛍先輩のところに泊まりたいなぁ……」
「……馬鹿」
「馬鹿じゃないですって!」
そう言って更に強く抱きしめられた
「でも、ありがとう」
「……」
「そして、本当に、ごめんね―――、全部、手放してあげられない」
謝らなくていいのに、そう思いながら唇が触れた。
それから目と目を合わせて、寮までの帰り道が待ち遠しかった。
見つめ合うだけで、ああ、この人が好きだと心から思った。
「ほたるがなるなら、おれもなる!」
「え?」
蛍が夢中になってるアニメ。
キラキラと眩しい瞳でアニメを見る蛍が余りにも楽しそうで、自分もそのアニメが好きになった。
何度も何度も繰り返し、DVDがすり切れるくらい見た。
蛍は優しくて、格好良くて、自慢の兄だった。
双子なのにどうしてこんなに違うんだろう。
「千紘は本当に蛍が大好きねぇ」
「母さんのお腹の中から一緒だったからじゃないか?」
一つだったものが二つに別れたからだろうか。
自分よりも蛍はずっとずっと凄かった。
蛍と一緒に、自分は進んでいけると信じていた。
「蛍が受けるなら、自分も受ける」
「え、千紘も?」
宝石ヶ丘のパンフレットを持ってきた蛍に自分も同じ道を進むと信じていた。
でも、結果は散々たるものだった。
「蛍、どうして」
「…もう、辞めてくれないかな」
否、自分は気づかなかった。
どれだけ――――――
どれだけ、蛍が、
「俺は、千紘の偽物なんかじゃない」
「何言って…」
「ずっと千紘と一緒にいると嫌でも比べられる、そして出来の悪い千紘にしかなれない」
「蛍?」
「俺は俺なんだ、蛍としての人生を歩ませてよ」
「……っ」
辛い思いをしてたのかなんて。
でも違う。
違うんだ、蛍。
オレのほうが、オレのほうが、ずっと、ずっと――――――――――!!!!!
「……っ…!!」
そう言って手を伸ばそうとした瞬間、天井の白さに気づく。
「……」
なんで今頃あんな夢を、と頭を抱えながら起き上がる。
時間を見ればまだランニングする時間には少し早いが寝直すのも、と思い起き上がることにする。
「……」
隣のベッドを見るとむにゃむにゃと気持ち良さそうに眠る七緒がいた。
昨日、甘味処――――結局夕食まで食べて帰ってくると七緒はすでにベッドに眠っていて、どうかしたのかと思いながらも気持ちよさそうにしていたので起こさなかった。
何故か体調が良くなっている蛍がそこにいて、良かったなぁだなんて千紘は思ったわけだが。
「ん~……」
穏やかな寝顔に千紘の頬も不思議と緩んだ。
その名前を聞くまでは。
「……ほたる、せ……ぱ」
ユニットが一緒なのだから何も不思議な事は無い。
無い筈なのに、何故か千紘は背筋が凍るような感覚を覚えた。
その理由を、千紘はまだ知らない。