「嫌いになった?本気で言ってるの?」
物語のクライマックス。
舞台には央太ただひとり。
スポットライトに照らされる。
「本気で言ってるとしたら、オレのこと全然解ってない!」
」
顔を上げて、『怒り』を表現する。
知ってる。
橘央太の顔は整っている。
いつも馬鹿みたいな行動をして、口を開けば『お腹すいた』と言うから誰もが忘れてしまうが本来の央太は美形と賞されるものだ。
「例え、世界中が君のことを嫌いになったとしても、」
ふわりと、央太が微笑んだ。
そして、
「オレは、君のことを嫌いになったりしない」
瞳に涙が浮かんだ。
そして、微笑んで、
「だって……大好きだから」
ぽつりと呟いた。
小さな声。
けれど、その声はその劇場の観客全てに届いた。
泣きながら微笑むその演技はその場の全ての人に届いた。
本来ならばこの舞台を自分は見る筈ではなかったのだ。
否、Hot-Bloodのメンバー全員が、だ。
央太が舞台にでること自体誰も知らなかったし、誰も聞いてなかった。
鳴り止まない拍手に霞は悔しくなった。
こんな央太を自分以外が見ている事も、自分が知らなかったであろうことも。
「そういえば、霞も一緒にいくよね?舞台」
「え、なんの」
事の始まりは蛍の一言だった。
「何ってやだな、橘君がでてるやつだよ。」
「え?」
霞もチケット貰ってるでしょ、と言う蛍の言葉に耳を疑った。
たちばなくん、とは誰だ?
と頭の中で反響する。
とはいえ、霞の中で橘、という名字で仲が良い人間など一人しかない。
何せ、とある事件でほとんどが霞から離れていった。
霞と仲良くしているのは目の前の蛍のようにそれでも友達でいてくれるか、何もしらない人物かのニ択だ。
だから、橘と言われて央太のことだとはすぐに解った。
「霞?」
「あのさ」
「うん?」
しかし問題はそこではない。
「……央太がでるってなにに?」
「何って、舞台だよ」
知ってるでしょ、と微笑む蛍は何も悪くない。
普通に考えて仲良い相手が舞台にでてれば知ってるのが当然だ。
ましてや霞に央太が懐いているのは学園のほとんどの人が知っている事実だった。
だから、霞に央太が隠し事をすることなど誰が予想出来ただろうか。
実際、今まで央太が何かの舞台にでる時はいの一番に霞に報告してた筈だ。
蛍はその光景を何度も見たことがあるのだから。
しかし、
「……知らない」
「え?」
「俺、それ知らない」
心底、困惑した霞のその言葉に今度は蛍のほうが戸惑った。
何を言えばいいのかあたふたとしている蛍の様子に霞は違う意味で戸惑う。
「い、否、別に蛍が気にすることじゃないし……」
「え、えっと、多分、橘君も伝えたと思いこんでるだけかもしれないよ……」
「あはは、いいよ、そんな気にしてることじゃないから」
そう言った顔はちゃんと笑えているだろうか。
蛍が気に病むことはなければいい、そう思ってるとどこに行っていたのか椿がやってきた。
「み、ミヤ」
「何、蛍」
「あ、えっとね、橘君の舞台のことなんだけど……」
けれど、蛍の考えは違った。
「央太の舞台、何それ?」
「え」
央太の舞台の話は伝え忘れなどではなかった。それどころか、後で聞くと蓮にも、そして同室の鈴すら知らなかった。
さらに言えば、
ユニットメンバー以外の、蛍だけではなく千紘や志朗、宙なども知っている事こそが、央太が意図的に隠しているという証拠だった。
「だとしても、別にいいでしょ」
「おい、お前な……」
「何?別に央太がオレ達に来てほしくないって思ったんだから別にいいんじゃない?オレ達仲良しこよしってわけじゃないでしょ」
「そりゃそうだけどよ……」
珍しく椿に反論せずに同意した。
だが、もしも納得しているのならそもそもこうやって四人とも集まっていないだろう。
それに……
「央太どのだから……」
「……」
そう、央太なのだ。
きっと、他の人間だったら特に気にすること無かった。
けれど、他の誰が否定しても央太はHot-Bloddは固い絆で結ばれていると信じている。
それを自分達はよく知っている。
「あいつさ」
「……」
「ああ見えて凄い色々考えてるし、結構人に気を遣ってるだろ」
そう言われて思い出すのはこのユニットがくむことになったあのオーディションの帰り道だった。
『自分が傷ついてもね、人を傷つけていい理由にはならないんだよ!』
あの言葉に胸を刺された。
自分は頑張ってる。
頑張っているから報われたい。
おまえ達とは違う、自分だけは特別だ。
そんな子供っぽくて今振り返れば酷く、バカバカしい自分。
あの事件で実はどれだけ自分達が人に支えられているのか気づいた。
そして、央太はどんな事があっても自分達を信じ続けてくれた。
まっすぐなあの緑の瞳で。
椿と霞は鈴はもちろん、蛍や志朗、宙にどれだけ迷惑かけたのか実感した。
最も、全てを知った志朗と宙のユニットリーダーであり、椿の従兄である帝はねぎらいの言葉と、「きっと二人は迷惑かけられたなんて思ってないぞ!」と高らかに笑って心配してくれたけれど。
「……っていうか」
そこまで思い出して椿は怒りを露わにした。
「なんでミカは招待されてるわけ?」
あの後、教室に帰ってきた志朗と宙もチケットを持っていると知った。
二人曰く、帝から貰ったらしく、実際帝に聞きにいったところ「ああ、囲碁部の時に貰った」と返された。
部活の先輩には知らせて招待までするのに自分達には舞台があったことすら教えない事実が正直、全員ショックだった。
霞はそんな中、いかに自分が自惚れていたのか気づいた。
内心、央太には自分が一番懐かれていると思っていたのだ。
だから誘われなかったという事実は霞の中でそれなりに影を落としていた。
「……某」
「鈴?」
「央太どのに聞いてみるでござる」
「え……」
「本来ならば、黙って知らないふりをしていればいいのだろうが、やはり知ってしまった以上は央太どのの口から聞きたい」
あの事件があってからメンバーの中で嘘や隠し事はなし、というのが暗黙のルールになっていた。
それを何よりも大事にしていた央太がこうして隠し事をしたのだ。
ならば、それを聞くのもメンバーの役目だと言外に鈴は口にする。
「……鈴」
「止めても無駄でござる」
「そうじゃなくて、それ」
「霞どの」
「俺にやらせてくれない?」
解ってる。
本当は自分にその資格なんてない。
あの日、「行かないで」と言った央太の手を自分は振り払った。
それでも、知りたい。
どういう気持ちで央太は言ったのか。
『オレ、かすみくんのこと迎えにいってくる』
央太はいつだって自分にまっすぐに向かっていってくれた。
だからこそ、自分も正面からぶつかりたかった。
どうして隠したのか。
どういう理由があったのか。
「……わかったでござる」
「悪いな」
「それで蓮さんとミヤもいいか?」
「別に好きにしたら」
「お前等に任せる」
あーあ、素直じゃないんだから、と想いながら霞は腰をあげた。
どこに央太はいるんだろうか。
一応、鈴と央太の部屋に向かってみるがそこには誰もいなかった。
どこにいるのだろうかと中庭にでてくると、透き通るような歌声が響いた。
霞はその歌声に惹かれるように足を向けた。
その歌声の主が探し人だと信じて。
「……」
霞は寮から学校へと向かう。
声が大きいとはいえ普通寮まで聞こえるものか、と苦笑しながら。
学校に着くと、そこには噴水の前、水を掬おうとしている央太が月明かりに照らされている探し人がいた。
「央太」
名前を呼べば肩をふるわせて、央太は霞を瞳に写した。
真面目に見つめるその瞳を霞は見つめて、胸が高鳴るのを感じた。
いつもそうだ。
央太は人を真っ直ぐ見つめる。
その目線が時折まぶしすぎる時もあるけれど、それでも、その瞳がいつでも、霞にとっては大事なものだった。
他の後輩やユニットメンバーに対するものとは違う。
馬鹿にされているようで辞めろとつい言ってしまうけれども、これが「お母さんのよう」と言われる由縁なのかもしれない。
央太には何故か他の人よりも特別優しくしてあげたくなる。
その理由は本当の妹の身代わりにしているのかもしれないと自分で思って少しだけ自嘲した。
ふざけている。
央太に対して馬鹿にしているどころじゃない。
それでも、央太の手を二度と離したくなかった。この手を離したら二度と居場所を失う、そう想えて仕方ないから。
「どうしたの?」
不安げに霞を見る央太の様子がどこかいつもとちがうように見えて、霞は自分の用事を思い出す。
「央太」
「うん?」
「どうして、舞台のこと、黙ってたんだ?」
どんな答えでも受け入れると、決めながら霞は央太に対してここまでやってきた理由を口にした。
「……誰から聞いたの?」
「蛍から……」
「そっか」
霞が言えば、央太らしくなく自嘲したように笑う。
「ほたるせんぱいか、ななおも出るもんね」
央太は霞から目をそらす。
怖い、と素直に思った。
央太に見られていないという事実がこんなにも怖いとは思わなかった。
「央太、どうしーー」
「本当はね、」
それでも聞くと決めたのだからと聞こうと声を発すれば央太の声に遮られた。
「本当はね、かすみくんに一番見てほしかった」
「……え」
「でも、同じくらい、一番見てほしくなかった」
「……」
央太が霞を見つめた。
その瞳はうっすらと膜が貼ってるようにさえ見えた。揺れるクリソベリル。
「だけど、ばれちゃったから、」
自分に言い聞かせるように央太は言う。
「もう、仕方ないよね」
ズボンに手を突っ込み、くしゃくしゃになった痕のあるチケットを霞に渡した。
「それ、次の日曜日のチケットなんだ」
「……」
「かすみくん」
央太が霞を見つめる。
「見に来てくれる?」
だというのにその瞳が浮かべる感情は解らない。
央太らしくない、寂しげなその笑い顔も。
「……いいのか?」
その表情が霞の心臓をまるで握り込んだかのように苦しめる。
「本当に見にいっていいのか?」
「うん、だってオレ、本当はーーかすみくんに一番見てほしかったんだもん」
そういいながら何故、央太が泣きそうに笑うのか霞が解らなかった。
「わかった」
そのチケットを霞は受け取る。
「ありがとう」
「……」
「ありがとう、かすみくん」
そして、央太の言葉には偽りはなかったのだろう。その夜、央太のtwiineのアカウントに舞台の事が発表されていた。
ファンから様々な苦情があがっていたが、あれで央太はエゴサする人間だ。こうなることくらい予想ついていただろうし、それだけの覚悟があってでも隠したかったのだと思うと逆にショックでもあった。
「……」
日曜日というと明後日だ。
チケットにかかれていたタイトルに聞き覚えはない。
念のため、大型検索エンジンでタイトルを打ち込んで見るがまったくヒットしない。どうやら脚本家のオリジナルのようだ。
当日券しか売らないというそのスタイルはまさに挑戦的にもほどがあった。
「結局、なんで見に来てほしくないのか聞けなかったな」
霞に来てほしくない。
それは解った。
では、『何故』来てほしくなかったのだろうか。
解らない。
「かすみくん、渡しておいて」と言われたチケットは二枚。
鈴には渡すと言っていたから椿と蓮のものだった。
二人とも「理由は解らないけど、別に来てほしくないわけじゃなかったっぽい」と言えば「はぁ?」と二人とも上擦った声を出した。
一応、理由は解らないけれど、と言うと「何それ」と椿から言われてしまったが。
どっちにしろ二人とも舞台を見れば解ると思ったのかとりあえずチケットは受け取ったので問題はないだろう。
霞は携帯を枕の横に置いて、どうせだから大きな花束でも持って行ってやるかと想いながら「ええ?オレ、食べ物の方がいいです!」と言いそうだなと央太のことを思い浮かべて笑った。
「りんくん」
「央太どの」
「ごめんね」
「え?」
この恋は、叶わない。
だって、かすみくんはキング・オブ・モブだし、おかあさんだし、それに、
「ずっと来てっていえなくて」
「……別にいいでござるよ。ほんの少しだけショックではござったが」
「うん、あのね、本当はHot-Bloodのみんなに来てほしかった。
「央太どの」
「でも、渡していいのか悩んで、でも、もうばれちゃったから……」
多分、かすみくんはりんくんのことが好きだから。
もしかしたらミヤくん相手かもしれないけど。
だからね、ななお。
伝えたら駄目なんだよ。
だって、オレが何かしても、傷ついたってかすみくんはあんなに悲しんでくれない。
ただ、おかあさんだから、そうしてくれるだけ。
だからいいんだ。
だって、言わなければそばにいられるんだもん。
ごめんね、りんくん。
オレ、りんくんのこと大好きだよ。
だからね、りんくんならいいかなぁって思うんだ。
その前に、これはオレの最後の我が儘。
オレの、恋の終わり。
これが無くなれば、みんなとずっと笑っていられるから。
どんな楽しい幕でもね、必ず降りるために、それはあがるんだよ。
「……カスミン、滅茶苦茶大きい花束だね」
「本当、重くなかった?」
「……いや、まぁ、……それよりうちのユニットのメンバー来てないな」
志朗と宙に言われて、花束を持ってるのがなんだか恥ずかしくて照れるように聞いた。
「関係者席二つあるみたいで、加賀谷先輩はそっちみたいだよ百瀬先輩と一色先輩と一緒にいた」
「雅野はミカさんとコスモさんと一緒だったかな。立夏さんとかdropのメンバーもそっちみたい」
「そっか……」
そう言って、霞は空いている蛍と志朗の間に腰を下ろした。
「にしても、凄いね。突然で当日券だけなのに満員御礼で」
蛍の隣にいる新多が口にする。
「ああ、ナナが出てるんだから当然だろ」
「千紘……光城君はそういうことを言ってるんじゃないと思うけど……」
「うん、始まる前から凄いオーラを感じるよ」
「まぁ、誰も原作を知らないから目が離せねえってのはあるよな」
「……」
そうだ。
誰も原作を知らない物語。
そして、央太が、
『かすみくんに一番見てほしかった、でも、同じくらい、一番見てほしくなかった』
そう言った話。
いったいどういう物語なのか。
「まもなく……」
開幕のアナウンスが聞こえる。
会場の明かりが徐々に暗くなり、舞台だけに光が照らされる。
「探せ、探せ」
「探せ、探せ、見つけろ、見つけろ」
開幕と同時に響きわたる重音。
ステップを踏み、ダンスを踊る。
「裏切り者には制裁を!!」
「……」
そして、すぐに解った。
どうして、央太が霞にこの舞台を見せたくなかったのか。
「……なるほどね」
ぽつりと椿は誰にも気づかれないように呟いた。
「……そういうわけかよ」
同時に違う席で蓮も。
蓮の隣に座っていた鈴は口を押さえた。
この舞台はーーー断罪劇だ。
しかも、誰が犯人か解らない、『スパイ』を探す為の、物語。
七緒が演じるのはスパイを断罪するための警察。
そして、央太が演じるのは、
「大丈夫だよ」
スパイを信じ続ける親友。
他にもスパイの恋人やら、上司やら色々いるが、一つだけ舞台を見ていくうちに解るのはスパイは舞台の上にはいない、見ている観客そのものがこの舞台の主人公なのだ。
それは、観客こそがスパイであることを意味する。
ああ、そういうことか、と霞は思った。
央太は我が儘に見えて、とても優しいやつだ。だから何らかの理由があるということくらい理解していた。
でも、こういった内容なら理解できる。
七緒が率いる『敵』は余りにも強大でアンサンブルを率いて迫ってくる。
やがて、『恋人』も、『友人』も『上司』もスパイを裏切る。
当たり前に処罰されるべき相手として。
それでも、
それでも、『親友』は、央太は手を離さない。
信じ続ける。
やがて、物語のクライマックス。
手をとって『親友』はスパイと共に逃げ出す。
「っ……追いかけてくる、どうしよう」
そう言って、央太は舞台の上で転ぶ。
見ている霞は立ち上がりそうになる自分を叱咤した。
「うん、大丈夫……大丈夫だから……え」
舞台にいるのは、央太ただ一人だ。
スポットライトに照らされて、彼は顔をゆがめる。
心の底から軽蔑と悲哀の表情を浮かべて、せりふを口にする。
「嫌いになった?本気で言ってるの?」
そしてよろけながらも立ち上がり、一瞬顔を下げてそれから顔をあげた。
「本気で言ってるとしたら、オレのこと馬鹿にしてる!」
怒りに満ちた表情には強い意志のこもった視線が客席を射抜いた。
「例え、世界中が君のことを嫌いになったとしても、」
そして、ゆっくりと、央太がほほえんだ。
「オレは、君のことを嫌いになったりしない」
瞳に涙が浮かんだ。
そして、微笑んで、
「だって……大好きだから」
ぽつりと呟いた。
小さな声。
けれど、その声はその劇場の観客全てに届いた。
泣きながら微笑むその演技はその場の全ての人に届いた。
その姿に、霞は『好きだ』と頭が囁いた。
理性ではなく、頭が、感情が霞に伝えたのだ。
お前のずっと悩んでいるものは、持て余している感情の答えの唯一はそれなのだと。
鳥羽霞は、橘央太が好きなのだと。
気がつけば、涙を霞は流していた。
霞の気持ちに気づいたかのように央太がこちらをみてきたので心臓が痛む。
けれど、その後の
「 かすみくんのこと、せかいでいちばん、だいすきだから」
その言葉を聞こえたものはいただろうか。
どうか、自分だけであってほしい。
我が儘だと解ってる。
それでも、確かに央太はこちらをみたのだ。
「どこにも、いかないで」
そう言って、嬉しそうに笑った央太。
ああ、これで良かったのか、と思った瞬間、聞こえた。
銃の、音が。
「……っ」
央太の胸から血糊が飛び散って、ゆっくりと床へと倒れる。
同時に、
央太の顔が歪み、そして、
「ーー生きてっ」
その言葉を最後に足音の効果音が聞こえ、七緒が登場する。
何も言わずに膝をつき、何か口にして央太の手を握って、同時に幕がおろされた。
響きわたる拍手とカーテンコール。
霞は閉幕すると慌てて花束を片手に央太へと走っていた。
「え、霞!?」
後ろから蛍の驚く声が聞こえたが、それを気にする暇もなかった。
楽屋へは霞の顔を見て関係者が「ああ、橘さんなら一番奥の部屋ですよ」と教えてくれた。
ノックをするのももどかしい。
「はい」
央太の声が聞こえて、扉を開けてくれる。
「あ、かすみく、」
そして、すぐに部屋に押し入って、そのまま勢いのまま央太を抱きしめた。
「……へ?かすみくん??どうしたの?」
「……だ」
「え?」
「俺も、央太のことが、好きだ」
誰かに見られるかもしれないとか、聞かれたら一気にスキャンダルになるとかこのときの霞には考えられなかった。
ただ、この手を離したくないと思った。
一度、手放した手。
『行かないで』
そう言った央太の手を振り払ったのは自分なのに。
もう、他の誰の手も握ってほしくない。自分だけのものであってほしい。
そんな資格ないと解ってるのに二度とこの手をきっと自分は離してやれない。
結局自分は卑怯者だ。
「かすみくん」
「……」
「あのね、」
抱きしめた央太がおずおずと言葉を発する。
「みんな、そろそろ来ると思うよ」
「え……」
その言葉に慌てて現実に戻されて、霞は央太から自分の体を離した。
「っ……」
央太の綺麗なキャッツアイに霞の姿が映っている。
霞は照れくさくなって、持っていた花束を央太に渡した。
「これ、オレに?」
「ああ」
「ええ?これ、マリーゴールドじゃん、オレ、食べられる花が良かったな?」
「食べるのかよ!」
とはいいつつ、予想通りの、というか自分の知ってる央太の姿に霞は内心安心してしまう。
自分の知らない央太を見るのはひどく不安だ。
まるでどこか遠くに行ってしまうようで。
「いいじゃん、マリーゴールド。ちょっとお前に似てるし」
「そうかなぁ…」
「そうだよ」
「……」
そう言えば、央太は持ってた花束を抱きしめる。
「かすみくん、あの、」
央太が何か口を開こうとした時、扉がノックされて、
「央太、先輩たちが来たぞ」
「あ、ななお」
七緒が央太に顔を見せた。
「……あ」
だが、七緒は霞がいたことに気づくと気まずそうな顔を浮かべる。
当の央太は気にすることなく皆に囲まれて、霞は央太から離れざるをえない。
「邪魔、しちゃいました?」
央太とおなじようのにみんなにもみくちゃにされていた七緒が要領よく抜け出して霞の元へとやってきてそう口にした。
「え?」
「なーんんか、いい雰囲気だったのかなーだなんて思って……」
「……」
その言葉に頬に熱がこもるのが解った。
そんなことない、と否定するのはなんだか嫌で、でもそうだと認めるには央太は冷静だった。
だけれども、何故か驚いた顔をしたのは七緒の方だった。
「嘘……」
目を丸くしてぽつりと七緒は呟く。
「―――――……きせき」
「え?」
七緒がなんて言ったのだろうと想い顔を上げると、何故か目を潤ませて頬を綻ばせていた。
「央太!」
「ななお?」
そして人混みの中をかけわけて、央太の元へと向かっていき、そのまま抱きついた。
央太は七緒の突然の行動に何度も瞬きしていて、でも、特に気にすることなく笑いあっていた。
二人の様子に霞は胸を傷ませながら、自分で自覚したばかりだというのになんて心が狭いんだろうかと自分で自分につっこんでしまう。
その後も央太へ近づくことはなかなか出来なくて、霞は告白の返事をもらうことはできなかった。
否、もしかしたらそもそも告白なんてしていなかったのかもしれない。
自分で勝手に作り上げた都合の良い想像で、実際はただ霞は衝動的に央太に抱きついただけだったのではないかと。
そう考えると納得がいく。
そもそも勢いがあったとはいえ、そんな勇気が自分にあるだろうか、否、ない、と自分で自分に言う。
そう考えると全部妄想だったのではないだろうか。
舞台の上での央太の言葉も―――。
「霞」
一人、ベッドに腰をかけて考えていると隣のベッドで寝ころんでいる椿から声をかけられた。
「央太の舞台、理由わかったね」
「え」
突然の言葉に何のことだったかと思い出してると、
「チケット渡さなかった理由」
「あ」
そもそもの発端だったことを思い出す。
そうだ。
元々、蛍に央太の舞台のことを聞いたことが始まりだったのだ。
央太が言う、霞に一番見てほしくて、一番見てほしくなかった舞台。
スパイを探す大衆と、一人だけ味方し続ける『親友』。
自分達に嫌でもあの事件を思い出させる。
霞からしてみれば忘れる権利すらない、ずっと背負っていかなければいけない十字架でしかないが、それでもあの舞台では、否、央太は口にした。
そんなものどうでもいいと。
嫌いになったりしないと、そして、もしも幻想でなければ、
そこまで考えて霞は唇を無意識に噛んだ。
「でも、見に行って良かった」
「……ああ、そうだな」
「ったく、悔しいけどあんな舞台見たら悔しくなる」
「……」
「あんな表情出来るだなんて知らなかった。それって吉條相手だからみたいじゃん」
「あー……」
そういえば確かに、と思って霞はまた少しだけ胸が痛んだ。
「もっとも、あれはあいつの本音なのか演技なのかよくわからなかったけど、でも……」
そこまで言って椿は言い淀む。
言葉を霞が待ちながらじっと椿を見ていると、なんだか人のことを一瞥して、それから
「なんかこれ以上は勺だからいい」
「へ?」
「ま、せいぜい頑張ればってこと」
「は?ミヤ、それってどういう……」
「それじゃあね、オレ寝るね。ってか、霞も明日水やり当番でしょ」
「あ…」
「早く寝たら?おやすみ」
そう言って布団を自分のかぶせて、電気を消す、よく知らない人間からしてみれば横暴とも想える態度だが、椿なりの優しさだと解ってるので霞も素直に寝る為にベッドに横になった。
「……」
『かすみくん』
夢の中で央太に会えたらよーーくないか、ご飯をまた催促されるんだろうなとまんざらでもない顔をして霞は苦笑しながら夢へと身を落とした。
「よかったじゃん」
「ななお……何、L棟まで来て。早くねないとまた起きられないよ?」
「今そういう話するときじゃなくない?」
「そう?」
「そうだよ」
「千紘先輩大変?」
「お前な?」
そう言って、央太はボタンを押す。
自動販売機からジュースが音を立てて出てきて央太はプルタブを押しそのまま口をつけた。
七緒もそれにならって、硬化を差し込み口に入れてそのまま適当にボタンを押し、出てきたジュースを一口飲んだ。
空を見上げれば月明かりが二人を照らしてた。
「おこったじゃん」
「……うん?」
「きせき」
その言葉に央太は悲しそうな顔をした。
「……そうかなぁ」
「お前また、変なこと、考えてるだろ」
「そりゃ考えるよ」
はぁ、とため息をはいて、
「ななおはさ」
「ん?」
「好きな人から好きだって言われたら信じられる?」
「……」
「ななおの一年と三ヶ月と同じくらい、オレの一年と三ヶ月も同じくらい苦しかったんだ。やきもちとか、つらいとかそんなの全部忘れた振りしなきゃいけなかった」
「……ああ」
「それを今更ひっくり返されるようなこと言われても戸惑うよ。全部、都合の良い夢なんじゃないかって」
「……だよな」
「うん」
多分自惚れじゃなく、この学園で橘央太のことを一番理解しているのは吉條七緒である。
きっとそれは恋愛とかではなく、対抗心で繋がってる。
あの人に惹かれたのとは別に、目の前の男に七緒は心奪われた。
何度やってもなかなか出来なかったステップ。上手く言葉にできなかった台詞。演じるのが難しいキャラクター。
央太は「ななおはとくべつだからねー」だなんて言うけれども、七緒からしてみれば一度みただけでそれなりのクオリティをたたきつける央太の方がずっと天才だった。
目の前の人間は七緒は凄いと嘘偽りなく賞賛するし、自分は悔しいから言わないけれどもそれでも央太は天才だった。他でもない自分が保証する。
千紘が蛍に対して抱える劣等感というものがこういうものだろうかと感じるもの。それを七緒は央太に持っていた。
憧れの人だからといってこんなところまで似る必要なかったのに、と内心笑える。
「だって、はじめてあった時から大好きだったんだよ……」
「……」
「信じられないよ」
泣きそうな瞳で月を見つめる。
特待生に聞いた。
央太は月を捕まえれば願い事が叶うと信じてる。
「……」
だから七緒は思わずにはいられない。
月を悲しそうに見る央太を見ながら早くこんな似合わない夜の国から連れ出してほしいと。
太陽の下が、こいつは似合うから、鳥羽先輩頼みますよ、と七緒は心から願った。
自分の恋は叶わないけれども、こいつはここまで来たんだから、と。
「あ」
「なんだよ」
「オレ、明日、小屋当番だった」
「お前こそ早く寝ろよ!!」
「はーい、おやすみ、ななお!!」
「……はぁ」
まぁ、ちょっと……否、結構、凄い……か?まぁ、とにかくお馬鹿だけど悪いやつではないから、と七緒は付け加えて。
「……」
央太は次の日自分で言った通り早起きをして学校へと向かう。
そういえば日差しが暑いから先生からつけろと言われたんだったと麦わら帽子を被って体育着で小屋へと向かう。
夏の照りつける日差しが眩しい。けれど空は青くて、央太は素直に綺麗だと想えた。
小屋にいる動物に餌をあげて、さぁ、戻ろうかと思っていると
「…あ」
畑の野菜に水を捲いている霞がいた。
「央太」
「かすみくん」
二人の目線がカチリと向き合う。
「おはよう」
「ああ、早いな」
おはようと言う霞の横に央太が並ぶ。
「…」
霞は隣に立つ、麦わらの帽子を被る央太が揺れるマリーゴールドに見えた。
ひまわりと並ぶ、太陽の花と呼ばれる黄色の花。
何度だって霞を掬い上げてくれたその手。
「なぁ、央太」
「なぁに、かすみくん」
昨日までの自分はどうしてこの思いに気づかなかったのか不思議でならない。
こんなに愛しくてたまらないのに。
何故妹の代わりだなんて思ったりしたのだろうか、全然違う。
「突然で驚くと思うんだけど」
「なぁに?あ、もしかして、かすみくん、オレのおやつたべ―――」
「好きだ」
「……」
「オレはこんな境遇だし、言う資格なんてないけど、でも、」
何度も何度も、央太を裏切った。
でもだからといって、それに逃げるのは間違いだと、そんなの自分を甘やかしてだらけているだけだと目の前の子に何度も霞は教わった。
あの舞台のように、嫌いにならないでいてくれるのなら、希望を抱き続けていいと思わせてくれるというのなら、
「央太のこと、好きなんだ」
例え、断られると解っていても。
それでも伝えずにいられなかった。
気まずいのか央太が下をうつむいた。
「オレ、」
「うん」
「かすみくんは、ミヤくんかりんくんのことが好きだって思ってた」
「なんでだよ」
「だって、かすみくん、ミヤくんと仲良しだし、りんくんには特別優しいし…」
「そんなの仲間だし、普通だよ」
「普通じゃないよ」
「…なんだよそれ。大体それ言ったら、」
「…だって、」
それを言ったら、ずっとずっと央太に優しくしてきたつもりだ。
特別視してきたと、思い返せば思う。
ただの後輩にわざわざ弁当作ったり、お菓子を用意したり普通しない。
思えば無意識に振り向かせたかったからなんだな、と思ってしまうが。
「だって、オレ、ずっとかすみくんのこと、見てきたんだよ」
「…央太?」
でも、あの時と同じ、舞台の上の必死な泣きそうな笑顔がそこにあった。
「……オレ、はじめて会った時から、ずっとかすみくんのこと、いちばん、大好きだったんだよ…」
「…」
真面目に、キャッツアイが霞を映し出す。
どうしたら信じて貰えるだろうか、どうしたら央太の気持ちに自分は釣り合うものが渡せるのか解らなかった。
ただ、唯一確かのはお互いが、お互いを思っているということ。
そして、霞がはっきりと央太に思いを示すことが出来なければ、永久にこの手を手放してしまう気がした。
央太の双眸にははっきりと『もうどこにも行かないで』と言っているというのに。
「ごめん、央太」
「かすみくん…」
「嫌だったら、本気で対抗してくれ」
「え…」
そう言って、央太の両頬を包んだ。、トパーズの眸の中に央太を映し出した。
央太の言葉が真実なら、きっとどれだけ好きだと言っても、愛してると告げても、届かないし、気持ちの大きさでは叶わないだろう。
でも、それでも、離れられない。
何より、二度と自分が央太の傍からいなくなりたくない。
だから、そっと、頬に当てていた手を背中に回して霞は央太を抱きしめて、キスをした。
長い長いキスの後見つめ合って、そして、霞が何か呟くと、央太はぽとりと涙を流して、ゆっくりと頷いた。
その様子を畑に殺虫効果を狙って植えられていたマリーゴールドだけが揺れながら、二人の恋の行く末を見つめていた。
もう一度、二人の唇が重なるのも、暑い、夏の青空と共に。