未来は微笑む

 ミチルが賢者の魔法使いになるだなんて予定外だった。
 ずっと南の国にいて、強い魔法なんて覚えなくていい。そうすればいざというとき、ミチルのことをたやすく殺せる。
 そう思っていた。
 だから、ブラッドリーがミチルに強い魔法を教えてると知って、計画が崩れると思った。 
「ミチルは一生強い魔法なんて覚えなくていい、あのままでいいんだ」
「じゃあ、あのちっちゃいのをずっと飼い殺しにするつもりかよ!」
「お前に何が解る。そうすることがミチルにとっても幸せなんだ」
「幸せ?てめえが何を考えてるのかわからねえが、あのちっこいのの幸せをてめえが決めることじゃねえって事くらいは解るぜ」
「ミチルが強くなれば、ルチルやレノックスが死ぬと言っても?」
「……は?」
「ミチルには予言がある。あの子は―――」
「……」
「―――南の魔法使いを全滅させる存在なんだ」
 食い止めなければならない。
 どんなことがあっても。
「その為になら、てめえはあのちっこいのが犠牲になってもいいって事かよ」
「結果的にはそうなっても仕方ないってだけだよ。別に俺だってミチルを殺したいわけじゃない。だから……」
「……っ」
「だから……」
 少し頭に血が上っていた。ここでブラッドリーを手負いにして辞めさせればいい。そう思っていた。
 後ろに、ミチルがいることも気づかずに。



「……フィガロ先生?」
「……っ…ミチル……」



 その瞳はただフィガロを見つめていた。
 無垢な瞳が射貫いていた。
 説明を求められてフィガロは何も答えられなかった。だが、スノウとホワイトがかみ砕いて教えたのだろう。するとミチルは悲しそうな顔をして「それで強い魔法を教えてくれなかったんですね」と笑った。
 フィガロはその瞳に自分が罵られたかったのだと気づいた。いっそ、何かしら言われたほうがマシだった。
 ミチルはフィガロに対して何も変わらなかった。
 かつてミチルがミスラに言った言葉を思い出す。



『大切な人がいないなら、貴方は可哀想な人です』


 自分にとってミチルはなんだったのだろうか。
 いざというとき殺そうと思っていた。だってそうするのが当たり前だ。南の国の為だ。南の魔法使いの為だ。そう思っていた。
 でも、何か間違いだったのだろうか。
 ≪大いなる厄災≫が滅び、全てが終わった後、ミチルは南の国に戻らない事を決めた。
 ルチルは「どうして」と言っていたがミチルは何も言わなかった。
「ごめんなさい、兄様。でも、もう南の国には戻れないんです」
「……何か理由があるの?」
「……」
「だったら、私も――――」 「兄様は絵本作家になるんでしょう?それに、学校の生徒の子達が待ってますよ!」
「だけど、それでも、」
「……」
「私の弟はミチルだけだから」
「……兄様」
「だから、私は……」
「兄様、大丈夫です」
 そう言って笑っているミチルも涙の膜が張っていた。それでも、必死でこらえていた。
「大丈夫ですから」
 これで良かったとは言えない。
 予言は絶対。それでも、ミチルは南の魔法使いを殺さない為にこの道を選んだ。
「……ミチル」
 ミチルを預かる人間は未だに決まっていない。
 スノウとホワイトか、あるいはオズになるだろうとは解っている。  ヒースクリフが東のブランシェット領に誘ったり、ラスティカとクロエが一緒に旅をしようと言ったり、シャイロックの店で預かるかなど様々な案があったがそれもミチルは遠慮した。
 あんなに北の魔法使いを嫌っていたのに、それでも彼は選んだ。きっとそれは胸の奥での強さへの渇望と憧れがあった事の印でしかない。
「フィガロ先生」
「……ミチル」
「今までありがとうございました」
 そう笑ったミチルの顔は綺麗だった。


 裏切ったのは自分なのに、それなのにミチルは責めなかった。
 それどころか笑って、自分の元を去って行く。その姿にまた、自分は置いて行かれた、と身勝手にも思った。



「ミチルよ、そろそろ行くのじゃ」
「ミチルよ、そろそろ旅立ちじゃ」
「はいっ!」
 箒にまたがり、ミチルは去って行く。遠くなる背中と、ルチルの泣く声だけが、フィガロの五感を刺激していた。





「最後の思い出に抱いてもらえませんか」


 最初の印象は最悪。
 次に思ったのは囚人なのに、もしかするといい人かもしれない。
 三度目に思ったのは意外と自分の面倒を見てくれる。
 四度目は北の魔法使いだけど、いいひと。
 最後に思ったのは、「この人が好きだ」という感情だった。
「は?」
「は、じゃないですよ!人が勇気を振り絞っていったのに!」
 もう、と相手の胸をポカポカたたけば、「いや…」と目を泳がせて目の前の人が困ったように眉を下げた。
 だが次の瞬間には眉毛を上げて怒ったようにミチルを見つめた。
「まさか、死ぬ前に最後だけとかいうつもりじゃねえだろうな」
「……」
 その言葉にただでさえミチルの大きな目がさらに大きくなった。
「だったら、絶対に叶えてなんてやれるか、生きろよ」
「……ブラッドリーさん」
「ああ?」
「……僕は生きてていいんでしょうか」
「……」
 この一年いろんなことがあった。
 悪い魔法使いだったと思っていた北の魔法使いへの認識が変わった。
 絶対に正しいと思っていたものがそうではないと知った。
 自分が―――本当は、いらない存在だった。
 本当は、自分はきっと母親と一緒に死ぬべきだったんだと知ったとき思った。
 誰かの役に立ちたい、誰かのために何かをしたい。でも、そんなの全部幻想だったのだと知った。
「バカ言ってんじゃねえ」
「……」
「自分の価値なんざ人に決められるもんじゃねえだろ、少なくとも俺はお前の必死で檻の外へと向かおうとするその目が嫌いじゃねえ」
「……」
「フィガロに裏切られようが、あの爺どもの本当のこと言われようが、それでも強くなりたかったんだろ」
「……」
 その言葉にミチルは顔を伏せ、でも次には上げてじっとブラッドリーを見た。
「やっぱり、抱いてください」
「は?」
「だって、」
「……あ?」
「だって、明日、≪大いなる厄災≫を倒したら」
「……」
「そしたら、ブラッドリーさん、牢獄に戻っちゃうじゃないですか」
 そしたら、さよならですと言ったミチルを見て、口の端を上げた。


「……今度は倒すと来たもんだ」
「だって、賢者様がそう言いましたから」
「……おい、ちっこいの」
 魔法使いは約束をしない。
 約束をしたら最後、守れなかったら二度と魔法を使えなくなるからだ。
 だけれど、これくらいならいいかと思った。


 ラスティカが花嫁を探すように、ミスラがチレッタと約束したように、自分も目の前の存在のためになら少しだけ頑張ってもいいかと思った。


「もしも、刑期が明けたら―――」

 

 その言葉を思い出す。
 もう会えない兄がかつてミスラと交わした約束を胸に前へ進めたように、自分もあの言葉が希望だった。
 もう何年が経過しただろうか。  



 結局、自分はオズの城にいる。
 オズの城にはいろんな人が来る。
 ミスラやオーエンはオズに喧嘩を売りに来て、ミチルの様子を見ていくし、アーサーとシノが揃って「お忍びだ、カインやヒースクリフに言ったら怒られるからな」と笑ってやってきたりもする。
 ネロに引き取られることになったリケも二人でよく来てくれていた。
 フィガロに師事していたことからだろうか、ミチルのことをファウストもよく気にかけてくれていた。
 ファウストと一緒に時折レノックスもやってくる。「ルチルは元気だ」と聞くと嬉しく思えた。
 ラスティカとクロエはもう花嫁を探していない。それでも二人は笑って今でも一緒にいた。



 時間は流れていく。
 約束だけは薄れることなく過ごされていく。


 スノウとホワイトがオズと話しているのを聞いた。
「フィガロがもうすぐ死ぬかもしれぬ」
「オズよ、ミチルと一目会わせてやれんか」
「……」
 そのあとの答えはわからない。
 自分とあったところで彼は喜ぶだろうか、喜ばない気がする。
 ファウストに言いにいったところ、「君の心のままに生きたらいい」と言ってくれた。
「僕も相手を殺したいほど憎めたらいいのに、過去の思い出のせいで嫌いになれない経験がある」と遠い目をしていた。
 

 自分はどうするべきだろうか。
 何をしたらいいのか。  


 北の国では雪が降り積もる。
 時折ウサギが見えて、雪遊びをする。
 オズとミチルの暮らしは酷く静かだった。
 リケやアーサーが言っていたオズのやさしさが今ならばわかる。

 にぎやかだったミチルは大人になり、口数が減った。
 オズももともと口数が多いほうではないので二人の間に会話はほとんどなかった。
 でも、けしてお互い嫌いあってるわけではない。


「オズさん、紅茶でも飲みますか」
「ああ」

 そう言ってミチルは台所へと立つ。
 二人分用意しようと思った時だった。


 いつものようにオズの城を襲おうとしに来た魔法使いの気配が聞こえた。
 無駄に派手な魔法が城の一部を襲う音が聞こえる。 
 結界が張ってるので結局自分がここにいると教えるようなものだ。
 バカではないかと思うのだが、ミチルはこの魔力の気配の主が自分がここにいると教えていることがすぐに分かった。


「……っ!!」


 ミチルはその魔力の主のもとへと駆け出す。
 オズはミチルを見て、それから「ミチル」と声をかけた。
「オズさん?」
「いや……元気でな」
「……っ…」
 その言葉に、ミチルはその人のやさしさに泣きそうになった。
 だが振り返ることはもうない。


「……フィガロ」


 ぽつりと自分の兄弟子の名を呼ぶ。
 これでいいのかオズはわからない。アーサーを中央の国に戻した時だってどうするのが正しいのかわからなかった。
 それでも、オズの中にある優しい心はこれが正解だと思った。


 ミチルは向かう。
 そして、思い切り抱き着いた。


『お前のことを迎えにいってやる』


 たわいのない約束。
 それでも、それがミチルにとっての生きがいだった。
「……でかくなったじゃねえか」
「……っ」
 思い切り相手の胸に顔をうずめれば懐かしい匂いにさらに涙腺が刺激された。


 これからどうなるのかなんてわからない。
 それでも、この手と共にどこまでも歩いていくだろう。予言なんてなくても、その誓いだけは胸にあった。



 二つの足で走った。
 雪の中、必死でその人の手を握りしめた。  


 ねぇ、自分は生まれてきてよかった?
 自分は、幸せになっていいんだろうか。


 思えば本当に自分自身を見てくれる人はいたんだろうか。
 チレッタの息子。
 予言の子。
 賢者様の魔法使い。
 ルチルの弟。


 目の前の人は、でもそんな肩書きを気にせずに手を伸ばしてくれた。
 第一印象は最悪だったのに、どうしてだろう。
 気がつけばこの人を好きになっていたのは。
 いつだって解けない疑問が頭で囁く。
 でも心が応えるのだ。



 ”だって、この人は『ミチル』を見てくれた唯一の人だから”


 見返りもないのに、手を伸ばして魔法を教えてやるとか、その眼が気に入ったとか、戦えるのを楽しみにしてるとか、ふつうならあり得ないこと。
 けして善い魔法使いじゃなかった。
 でも、優しい、良い魔法使いだって事を、誰よりもミチルは知っていた。


『……自分は生きてていいの?』



 本当は、母親と死ぬべきだったんじゃないだろうか。
 兄が命をかけて、魔力の半分をかけて生きる為の存在だったのか。
 自分を生まなければ、母親は死ななかったんじゃ無いだろうか。
 フィガロも苦しまなかった。
 きっと、ミスラだって約束して悩む事もなかった。
 兄から、母親を奪う事もなかった。


 それでも、必死で手を伸ばしてくれた人がいた。
「バカ言ってんじゃねえ」
 全部知る前から、全部知っても、それでもこの人は変わらなかった。
 南の魔法使いじゃないし、何の責任もなくて、約束もなくて。
 だけど、否、だからこそ、彼の言葉はミチルの心の中で根付いた。
「自分の価値なんざ人に決められるもんじゃねえだろ、少なくとも俺はお前の必死で檻の外へと向かおうとするその目が嫌いじゃねえ」


 この人はきっと変わらない。
 出会った時から。
『おい、南のガキ。お前は案外、北の暮らしが性に合うかもしれないぜ。』
「刑期が明けたら、お前のことを迎えにいってやる」
 変わったのは自分の方。


 だって、あんなに大嫌いだったのに。
 好きになんてなるつもりなかったのに、今は、こんなに―――――


「今、なんて言いました?」
 南の国。
 雲の街は変わらずにあった。
 オズとフィガロの関係は変わらない。兄弟弟子として共に育った1000年余りの関係は、死に際まで変わる事は無かった。
 賢者の力のお陰でフィガロの人生はまだ生きながらえる事は出来たが、それでも魔法使いもいずれは死ぬ。
 フィガロはずっと数十年間、ミチルの事を悔やんで生きている。どうすれば良かったのか、自分が幸せだと思っていた事が駄目だったのか考えて今でも生き続けている。
 ミチルの悲しそうに笑ったあの顔が忘れられない。
 ルチルも、レノックスも、ミチルに会う事はあの日から出来ない。会えばミチルの決意が無駄になるからだ。
 自分が死んだ後、オズならばミチルを殺してくれる、そんな期待もあった。自分は酷い男だ。自分が決意しておきながら、それでも出来なかった事を弟分に頼むだなんて。
「ミチルはブラッドリーが攫っていった」
「は?」
「は?」
「ところでミスラ、なんでお前がフィガロのところになんでいる」
「ルチルの様子を見に来たんですよ。それより、オズ貴方はなんて言いました?」
「聞こえなかったのか。ミチルはブラッドリーが連れて行った」
 ミチルの事はずっと気になっていた。
 でも自分の口から聞けるような事でも無いので、ミスラが「そういえば、貴方。此処にいるってことはミチルは放ったらかしですか」などと言ってくれて助かった。
 次の瞬間、ルチルが淹れてくれた紅茶の入ったティーカップを落とす事になったのだけれど。
「ハァ?なんで!?」
「ミチルがそうしたがったからだ」
「ブラッドリーですか……弱くはないですけど、オレや貴方に比べればずっと弱いですよ、オレの魔法が使えなくなったらどうしてくれるんですか」
「ってか、ブラッドリーって囚人でしょ?刑期がまだ余ってたんじゃ…」
「……」
「ミスラどこへ行く」
「決まってるでしょう。ミチルを連れ戻すんですよ」
 そう言って、どこぞに行こうとするミスラにオズが話しかける。
「……今のミチルは少なくとも自分の身くらいは守れるぞ」
「……」
 そういうとミスラはゆっくりとオズを見つめた。
「……」
 ああ、ずるい。
 全部、みんなずるい。
 自分が手に入れられなかったもの、オズも、ミスラも手に入れた。
「……それに、ミチルが自分で手を取ったのだろう」
「オズ」
「―――私は、後悔していない」  アーサーを城に戻した時も、リケがネロについて行った時も、そしてミチルが出て行った時も、すべて後悔はなかった。
 もうこの世界にはいない賢者に「オズはみんなのお父さんですね」と笑って言われたことを思い出す。
 ミチルを預かることを言われた時も賢者は笑っていた。
「みんな、そうすることが『幸せ』だと思ったからそうした、だからミスラ。お前も見守ってやれ」
「……あなたに預けるんじゃありませんでした」
 そういったミスラは少しだけ、ルチルが言っていた『あしながおじさん』を思い出させた。
「まぁ、でも」
「……?」
「様子を見に行きますよ。死なれてたら困りますし」
 その言葉の裏には『心配だから』と言われてるそんな気がした。
「……」
 自分にこれ以上のことを言う権利はない。
 自分はミチルの幸せだなんて考えられなかった。あの子を見てる、つもりだった。
 でも見てないと言った、飼い殺しだといった男がいた。
 幸せにしてあげられる、つもりだったのに。
 フィガロはそんなことを考えているから気づかなかった。
 扉の外に、ルチルがいてそのことを聞いていたことなど。




 人間はおろか、魔法使いでも使う人間は未だ少ない。
 ブラッドリーの声が雪原に響き渡り、そのまま魔法使いの心臓を貫いた。
「ブラッドリーさん!」
 走って駆け出してくるミチルを見て、しまったとブラッドリーは顔を顰めた。
「もうっ!また怪我して!」
「仕方ねえだろ、思ったよりも手強かったんだよ」
「もう」
 頬を膨らませるミチルは出会った頃のように『仲良くして下さい』と言う事は無かった。ミチルはもう北の魔法使いだ。南のように土地に根付いて一生を終えられない事を理解している。
 北の国は勝ち残った魔法使いだけが生きられる。  1歩歩けば敵に見つかるし、一歩下がれば敵に殺される。そういう国だ。 『―――――』
 そっとミチルがブラッドリーの傷口に触れて、言葉を発すれば傷は癒えていった。
「ありがとな、助かったぜ」
「……」
 素直にそう言われれば拗ねる事も出来なくて、ミチルは石を雪の上から拾い上げた。
「ブラッドリーさん」
「あ?」
 そして、そのままブラッドリーの口の中へと放り込む。
「っ……」
 すぐに距離を取ろうと思ってた手が掴まれてそのまま舐め取られた。這うような生暖かい感覚が指先に伝わってミチルは少しだけたじろぐ。
「……お前が食えば良かったのに」
「魔力そのものはブラッドリーさんの方が少ないですからね!長生きして貰わないと行けないんですから!」
 頬を膨らませてそう言うミチルにブラッドリーは肩を竦めた。
「昔はあれだけ『強くなりたいんです!』ってピーピーわめいてたのに」
「仕方ないじゃないですか」
「……」
 そう言って誰の事を考えてるのかなんとなく解って気にくわなくて顔を上に向かせた。
「は?」
 そのまま口に手を突っ込んで、舌を手でひっぱりだしれやった。
 舌を合わせて、そのまま絡ませながら噛みつくようにキスしてやる。
 やっと状態に気づいて必死で人の事を押し返そうとするが力が足りず結局ブラッドリーのやりたいがままに水音が響くのがミチルの耳に聞こえた。
 歯茎をなぞって、舌を絡ませたり、甘噛みされて思うがままにむさぼりつくされるとさすがに息苦しそうになったのが解ったのが口が離れたのが解った。
「……」
 悔しそうに睨んでくる様子に気分が良い。
「……なんでしたんですか」
「なんで、気に入らなそうなんだよ。昨日あんなによがってただろうが」
「そ!それとこれは別でしょう!」
「あ?てめえ、俺の事好きじゃねえのかよ」
「す……好き、ですけど!それとこれは別です!」
 そんな素直なのに、素直じゃない恋人に笑って、夜が明ける前にさっさと国を出ようと箒に手をかけた。
「へいへい、ほら、行くぞ」
「……」
「さっさと乗れ」
「……はい」
 そもそもオズの城にいてずっと箒に乗っていなくて、北の国から違う国に行くのは不安だという事から言い争っていたところで襲撃を受けたのだ。
 ミチルもこれ以上戦うのは面倒だということは解っているのでしぶしぶとブラッドリーの後ろに乗り、腰に手を回した。
 ふわりと重力を感じなくなり、体が軽くなる。そして、そのまま二人は空へと舞った。

 


 ずっと数十年過ごしてきた、北の国は真上から見ると美しかった。
 あんなに嫌っていた国だけれども、それでもずっと暮らせば愛着も湧くし、好きだと思える。
 南の国から、中央の国。
 中央の国から、北の国へ。
 ミチルはこれからどうなるのだろうか、自分でも解らない。
 怖くなって力を込めば、目の前の人の苦笑する声が聞こえた。
 やがて、草木の多い、でも南の国とは違う土地が見えた。
 




 ノックのする音が聞こえた。
「は?まだ営業時間じゃねえぞ」
「ネロ、僕が出ます!」
「ああ、頼む」
 そう言って、小さな足音が店内に響き渡る。
 扉を開くと共にリケの嬉しそうな声をネロは聞いた。
 なんだろうかと思って、様子を見に行けば思いがけない客に目を丸くすることになるのだが、それはまた、別のお話。