「ヒースが変だ」
最初は喧嘩をしたのかと思っていた。
でも、シノ自身は特に変わらなくて、最初は何もなかったように振る舞っているのかと思っていたが違うと解ったのはすぐだった。
シノの隣にいるのに、何故かふいっと顔を逸らすのだ。
それは積み重なって東の授業の時についに爆発した。
「……オレが何かしたのか?」
「シノは悪くないよ!」
「……ヒース?」
かといって、シノが尋ねると珍しく声を荒げてヒースクリフがそう言う。
「そうじゃなくて……その、ごめん…」
「ヒースが悪いことなんてない」
「……あるよ」
「……」
以前のシノなら、そんなことない、と言っていただろう。
けれど、シノも成長した。
ヒースクリフの言葉を飲み込み、それなら、と口を開く。
「なら、言えよ」
「言わない」
「なら何でも無いようにしろ」
「……っ」
その言葉にラインが越えた、と思った。
でも、シノの言う事も解るのだ。
何も言えない、何も出来ない、何も悪くない、というのならせめてシノに悟らせるべきじゃなかった。
せめて、もう少し上手く繕うべきだった。
「ファウストやネロだから何も言わないでいてくれるが、これがクロエやルチルが目の前だったら聞かれるぞ」
その通りだ。
別にシノは曝せとか、言えと言っているわけじゃない。
せめて、上手く隠せと言いたかったのだろう。自分が傷つく分には悲しくても辛くても飲み込める子だから。
「理由は聞かないし、嫌ならヒースの傍にいるのも……まぁ、少し遠くから見守る。でも、避けるならもう少し上手くしろ」
「おい、シノ……」
どう助け船を出すべきか、と思っていると、シノの肩にネロが触れた。
「ネロ」
「まぁ、言いたい事はわかるけどさ、少し言い方ってもんが――――」
いつもにネロが割って入ってくれた。
これで少しは穏やかになるだろう、と思っていた。
「……っ、おまえだって、」
これが導火線になるだなんて、誰が思っただろう。
ネロもシノも、そんなことになるだなんて思わなかっただろうに。
「お前だって、自分の過去のことも、自分がしてることも言わないじゃないかっ!」
その言葉に、シノだけじゃなく、ネロの顔も歪んだ。
「自分は良くて、俺が駄目とか、そんなのズルイだろっ……!」
そこまで言って、ヒースクリフが口に手を当てた。
自分が言ってしまった事に気付いて、目を丸くしていた。
「ヒース」
言いたい言葉じゃなかったのだろう。
言うべき、言葉ではないと、自分でも解っていた筈だ。
でも、その表情がヒースクリフの気持ちなのだと、言ってはいけなかった、言うつもりのない本心だったのだと解ってしまう。
「……あ、あぁ……」
そんな自分に、ヒースクリフは信じられなくて、
「ごめん、俺……そんなつもりじゃ……」
「……」
その場に座り込む。
美しい蒼玉から大粒の涙が溢れ出る。
こうなると誰が悪いのか解らない。
過去の事をシノが言わないのが悪いのか。
シノがヒースクリフを思いやって言った言葉が悪かったのか。
ヒースクリフが、シノに中途半端な対応をしていたのが悪いのか。
「……今日の授業は中止にする」
「……」
「ネロとシノは外に出てなさい」
「……うん」
ファウストが言えるのはそれが精一杯だった。
シノはヒースクリフを心配そうに見ていたが、ネロに連れられて外へと出て行く。
ファウストは少しだけ考えて、それからヒースクリフの前に座った。
「ヒース」
そっとヒースクリフの背中をファウストの手が撫でる。
「……」
「……」
ファウストはヒースクリフに何も言わない。
謝りなさいとも、仲直りしなさい、とも。
ただ、ヒースクリフに元気になってほしいだけだった。
自分の――――――初めての、生徒に。
「……」
ヒースクリフだって解ってる。
シノに悪い事を言った、言ってはいけないことを言ったと。
心の扉を半分だけ開けて、気付いてと拗ねていた。
シノに解って欲しかった。
でも、何を?
何を解れと言うのだろうか。
言えるわけがなかった。
ヒースクリフだって解らないのだ。
シノが誰かを好きになることは良いことで、自分以外の人間と仲良くなるのは、良いことだと、正しいと解っていた。
ヒースクリフとシノの世界はとても狭くて、歪な友情で結ばれていた。
それが心地良くもあり、息苦しくもあった。
賢者の魔法使いに選ばれて、最初は恐くて不安だった。
でも、初めてシノ以外の友達が出来た。
カインと仲良くなった。
ファウストやシャイロックにあった。
シャイロックにファウストに魔法を教えて貰ったら良いとアドバイスを貰って、正しい魔法の使い方を教わった。
苦手な師匠と少しだけ距離が出来て、ヒースクリフは心が軽くなった。
自分でもズルイと解っていた。
シノと離れたら、気持ちが楽になるだなんて。
あの深紅の双眸が好きで、大切なのに、距離を置くことがこんなにも楽だなんて思わなかった。
自分から離れたくせに、自分の手元に置きたがって、何でも知りたがるだなんておかしいと自分でも解っている。
ルチルやクロエと仲良くなって、更に自分がおかしいという事は自覚した。
だって、他の友達には、こんなに――――――執着なんてしない。
はじめての『ともだち』ってそんなものなんだろうか?
幸せな箱庭にいたら辛かったのに、
広大で自由な場所を手に入れたらもっと辛くなかった。
シノが賢者の魔法使いになった。
シノがまた傍にいるようになった。
楽しくて、幸せで、でも、辛くて、苦しい。
シノにどんどん、大切なものが増える。
ファウストを恩師と仰ぎ、
アーサーとは親友のようになった。
ミチルに兄貴風を吹かせて、
レノックスやカインと鍛錬をして、
ムルと追いかけっこをする。
ブラッドリーやオーエンとご飯やおやつの取り合いをする。
シャイロックの真似をしたがる。
オズやミスラにお願いごとをして、
スノウやホワイトに要らぬ事を教えて貰い、
ラスティカと歌を唄って、
クロエやルチルとも仲良くなって、
リケにたまに親切にしてあげる。
そして、シノに、好きな人が出来た。
ネロが、好きになったんだと知ってしまった。
自分の一番が、シノの中の一番が変わってしまった。
どうして?と思った。
なんでなんだろう。
ネロだと駄目とか、シノに好きな人が出来たのが嫌とか、そういうわけじゃないのに、実際はそうで。
何が悪いのか自分でも解らない。
感情の置き場が解らない。
どうしたら、がいっぱいで、
そう思っていると、
「ヒースクリフ」
凪いだ紫水晶がヒースクリフを覗き込んだ。
ただ、笑って。
「……」
紫水晶が、優しくヒースクリフの心の扉を開ける。
軽くノックをして。
無理に入らないよ、と。
ゆっくり出ておいでと促す。
「……」
ファウストの言葉にヒースクリフがゆっくりと顔をあげる。
美しい蒼玉は涙に潤ませて、そしてファウストを見つめた。
「俺……」
「無理に言わなくてもいい」
「……っ」
ヒースクリフは、自分が恵まれていると思う。
親からいらないと虐待されていたクロエ。
両親を早くに亡くしたルチルとミチル。
幼い頃から教団に利用されていたリケ。
王子という立場なのに、王妃に北の国に棄てられたアーサー。
親すら知らないシノ。
シノ以外に、カインしか友達という存在を知らなかった頃には解らなかった。
どれだけ自分が恵まれてるのかは解っていたつもりだったのに。
そんなレベルじゃなかったと知るのは。
魔法使いは、大体が何かしらを喪って生きている。
家族にも――――愛されない魔法使いが多いのだと。
だからなのだろうか。
もしかして、と思ってしまう。
ブランシェット家に生まれたから、ヒースクリフはシノと会えた。
2人は友達になれた。
でも、思ってしまうのだ。
だからこそ、自分達は永遠に解り合えないのではないだろうか、と。
「……解っちゃったんです」
「……」
「シノが、ネロのことを好きなんだって」
「……」
「……」
ヒースクリフはネロの過去を知らない。
ネロも自分の昔の事を言わない人だからだ。でも、別にそれで良かった。
だけど、年上の魔法使いを見ていると、けして幸せではなかったのかも、とは予想することはたやすかった。
それが良かったんだろうか。
シノは、だから、だなんて思ってしまう。
「……え、そうなの?」
そこまで考えていると、今度はファウストが目を丸くしていた。
「……」
「……いや、確かにフィガロがそんなふざけたことを言っていたが……相手はその、」
「……」
「ネロ、なのか……?」
その様子に、ヒースクリフの涙が引っ込んだ。
「……っ」
そして、そのファウストの様子にヒースクリフは破顔した。
「ふふ、そうですよ、ファウスト先生」
「いや、そうか……いや、でも……うぅん…」
なんだか釈然としない様子のファウストにヒースクリフはなんだかどうでもよくなってしまった。
いつもそうだ。
ファウストは、ヒースクリフが困った時に導いてくれる。
シノは、ヒースクリフにとって一番星だった。
暗闇の中、迷わないように照らす、自分を見失わないための存在だった。
でも、ファウストはヒースクリフの明星だった。
夜明けを目指す、美しくて儚い存在。
「……俺、それを知って解らなくなったんです」
「……そうか」
「本当なら、シノにおめでとうって、良かったねって言ってあげたかったのに、でもなんだか感情がぐちゃぐちゃして、辛くて、」
「……」
「……自分とシノは、違うから」
「……」
「ヒースクリフ・ブランシェットだったから、シノに会えた。でも、ヒースクリフ・ブランシェットだから、永遠にシノを理解できない」
「……それは、」
「……」
理解しなくてもいい、とファウストは言ってあげられなかった。
理解したいという気持ちを否定することは出来ない、正しい。
けれど、ファウストはヒースクリフに泥水を啜れなんて言えなかった。
シノにだってしろと言うつもりはない。
それでも、シノは出来る子だ。
泥水を啜り、膝が何度も土を舐めて、血だらけになっても、骨が折られても、あの子は諦めないだろう。
ファウストの気持ちが届いたのか、ファウストとヒースクリフ、ネロの傷ついた姿を見て、シノも自分を無碍に扱う事は辞めた。
でも、解る。
シノは『出来ない子』ではないのだ。
もしも、厄災戦で、そうする必要があると解れば、するだろう。
今度は、ヒースクリフの為だけじゃなく、他の誰かのためにも。
そんな未来を考えれば、ファウストはシノの世界を広げた事が正しかったのか、と少しだけ悩む。
その相手は、ヒースクリフではなく、ミチルかもしれないし、アーサーかもしれない。リケやクロエ、ルチル、カインの可能性だって。
考えたくはないが、ネロや、自分の可能性だってある。
対して、ヒースクリフは守られる側だ。
ヒースクリフだって無茶をする子だが、この子は、きっと他人から何かを奪わなきゃ生きられないだなんて事を想像もしたこともないだろう。
仕方ない。
『生きてきた世界が違いすぎるのだから』
それは、真実で。
でも、それを本人達は―――――壁だと感じているのだとしたら、こんなに残酷な事があるだろうか。
「……」
でも、ファウストは知っている。
生きてきた世界が同じでも、同じモノを、未来を信じていた筈なのに、別れた2人を。
「……ヒースクリフ」
ヒースクリフとシノにはそうなって欲しくなかった。
一緒にけしていられないことになっても、別々の道を選んだとしても、ヒースクリフとシノの未来が、狂ってしまう事だけはあってはならなかった。
「僕は、同じ立場で、同じモノを見ていた人間がいたけれど」
「……」
「それでも、一緒にいることは出来なかった」
「え……」
本当は、自分とアレクのことを言うべきだったのかもしれない。
でも、それを全て言うのはさすがに憚れた。
結局自分もシノと同じだ。
ヒースクリフに過去を明かす事は出来ない。
それでも解って欲しかった。
「『一緒にいれない奴らだとしても、一緒にやっていこう』」
「っ!」
「シノが言っていたことを覚えているか」
「……はい」
ビアンカの、あのひまわりの畑の依頼。
はじめての東の魔法使いたちが揃って南の魔法使いと協力して解決した事件。
あの時、シノが言った言葉だった。
あの時はただ、厄災の時まで協力しすればいいと思っていた。
けれど、ファウストは一日ごとにヒースクリフも、シノも、ネロも大切に思う。
アレクといた時は、彼の理想に寄り添って彼の言った未来があると信じていた。
けれど、あの頃の自分を思うと、時折考える。
自分は、自分の人生を生きていたのか、と。
あの日、レノックスに助け出されて、嵐の谷で過ごし、賢者の魔法使いになって、―――――ヒースクリフとシノ、ネロの先生になって、皮肉にもファウストは本当の意味で自分の道を歩き始めた。
欲が出た。
この子達を絶対に死なせるものか、という思いを。
アレクとの過去も、友情も、憎しみも、全て亡くなったわけじゃない。
それらの感情も、事実も、死ぬことはなく、生き続けている、ファウストの心の中で。
フィガロの言うように、憎しみだけを抱けたらどんなに良かったのだろう。それでも、愛しくもファウストは今でもアレクのことが好きだった。
彼との日々を、大切に思ってしまう。
でも、ヒースクリフに、シノに、こんな矛盾した感情を持って欲しくなかった。
そして、2人にとってはそれが『イマ』なのだろう。
互いに寄り添っていても、それでもヒースクリフとシノは同じ人間じゃない。一緒に手を繋ぐ事は出来ても、足並みを揃える事は出来ても、――――同化することは出来ない。
「……過去を知りたいのか」
「……」
「それとも、シノに解って欲しいのか」
「あ……」
「シノに、『シノ・シャーウッド』は誇って良い魔法使いなのだと」
「……それは、」
「ヒースクリフ」
ファウストも解ってる。
幼いヒースクリフが例え、彼がどんなに賢くても本当の意味で理解できるだなんて思わない。
それでも、はき違えないで欲しかった。
過去を知りたい目的を。
「……俺」
「うん」
「あいつが、いつも俺には線を引くのが嫌で、でも、」
「……」
「……羨ましかったんですね、ネロが」
「……」
そこまで言いながら、きっとヒースクリフの感情はそんな簡単なものじゃないんだろう、とファウストは解っている。
否、解らなかった。
自分には解らなかった。、
アレク・グランヴェルがみんなに囲まれるのが嬉しかった。
色んな人に褒められるのも、
色んな人に認められるのも、
色んな人が、自分達の傍に集まってくるのも、
志の同じ仲間が増えるのも。
もしも、ヒースクリフのような繊細な心が理解出来たら、自分達は……
「……」
いや、とファウストは頭を振る。
解っていてもきっと、自分達はこうなったのだ。
レノックスも、ビアンカも色んな魔法使いが、自分達のせいで狂った。
その咎をずっと自分は背負って生きなきゃいけない。
だからこそ、願うのだ。
幼い主従が、
幼い幼馴染みが、
例え一緒にいられなくても、
無理矢理引き裂かれたり、どちらかが逃げるような未来があってはいけないと。
「ネロは、シノと一緒の目線だから、シノはネロのことが好きになったんだと思いました」
「……」
「それが羨ましかった」
「…………でも」
そして、一つだけ言える。
ファウストの人生は、
ファウスト・ラウィーニアの望みは、この子達が笑っていられる事だと。
「きっと、シノは君がヒースクリフだから好きになったし、友達になったよ」
「……」
「シノは、ヒースのことが一番好きだ、それは本当だよ」
あのキラキラとした深紅の瞳が、嘘であって良いはずがない。
ファウストには恋心は解らない。
だから、友情と恋心の違いや、何が一番かなんて解る筈がない。
経験もない。
でも、それでも、シノにとっての一番がヒースクリフではないなんてことはないと知っている。
あの誇りが、誓いが、約束が、想いも、決意も、全てヒースクリフに捧げられたものなのだから。
「それは、信じてあげなさい」
そっと金絹の髪に触れた。
「……」
ヒースクリフはファウストの手の感触を噛みしめるように目を一度閉じる。
そして、目を開けて、笑った。
「……はいっ!」
やはり少しだけ涙が溢れていたけれど、それでも、良かったとファウストも微笑んだ。
「……」
先程の言葉はネロにも少しだけ突き刺さっていた。
過去。
ファウストは自分たちに正体を明かしてくれた。
過去はすべて話してくれたわけではないけれど。
それでも、ファウストは歩み寄りを見せてくれた。過去を、秘密を自分たちに教えてくれた。
でも、自分は、言えない。
期待したくない。
期待したら最後、嫌われた時に怖い。
初めから期待しなければきっと怖くない。
それに―――
「……」
それに、きっとそうしたら、死んだとき、楽だから。
自分が死んだ時、誰も悲しまないで済む。
だから何も残さないでいればいい。
深くかかわらず、相手に何も残さずに。
『お前には無理だ』
オズの言葉がネロの頭で蘇る。
自分では手塩にかけていないと、深くかかわっていないと思っているのに、出来ていないと言われた。
「ネロ」
隣に歩いていたシノが名を呼んだ。
紅玉がじっとネロを見つめていた。
「なんでアンタが傷ついてるんだ」
「えっ」
「言われたのはオレであってアンタじゃないだろ」
「……」
そうなんだけどさ、と言えたら良かった。
でも、ネロが過去を話してないのに、シノが話すのはいいんだろうか。
ヒースクリフが聞きたいのはシノのことだからいいんだろう、彼にとっては。
でも、ネロは本当は聞かれたくないシノの気持ちも解る。
自分の過去を聞かれて、嫌われるのが怖い。
でも、嫌わないことを、許されてしまえば―――それは自分の好きな相手じゃない。
自分がしてきたことを、ファウストやヒースクリフ、リケやミチルにバレたら、きっと嫌われる。
でも、許されるのも嫌だ。
嬉しいはずなのに、許されていい筈がないって思ってしまう。
ブラッドリーに対しても同じだ。
アイツが、本当は生きててほしいと思ってるのだって解ってる。
でも、ネロにとって、それは好きなブラッドリーじゃない。
盗賊のボスとして、部下たちを率いてきた男が――――私情でたった一人の人物を許すだなんてあってはいけない。
ましてや、それが自分だなんて、きっと一番ネロが許せなかった。
誰かの生き方を歪めるのは。
変わることと、歪めることは違う。
前者は成長で、後者は変貌だ。
器だけ綺麗なまま、中身を変えてしまうことは、それは違う。
「……ヒースに嫌われても、」
だから解ってしまう。
シノとネロは同じだ。
ドブ沼の中で生きていて、拾われてまともな生き方を知った。
知ってしまったから、自分が思っていたよりも酷いことをしていると解ってしまった。
まともに生きるには、遅すぎだ。
だからネロは言えない。
シノはまだ大丈夫だなんて、そんなこと、簡単に言えるわけがない。
自分と違うんだから、若いんだから、そんなこと、他人が言って何になるのか、と。
「アンタは、嫌わないでいてるんだろうな」
「……」
紅玉の双眸に透明な粒。
諦めたように、でもどこか縋るように泣きながら笑う顔が切なかった。
ヒースクリフが棄てられても、俺がいるだなんて言えなかった。
大いなる厄災と戦って、フィガロと双子を石にして、そして、ブラッドリーに殺される。
石になる、それが自分の望み―――のはずなのに、
同時に色んな後悔が増えていく気がする。
例えばリケと教団のことだったり、
ファウストと中央の国のことだったり、
フィガロを殺した後のルチルやミチルのこと、
双子とフィガロを殺した後、オズにブラッドリーが殺されるんじゃないか、とか、
繊細なヒースクリフが立派な当主になれるのか、とか、
目の前の、尊大で自信家で―――でも、本当は傷つきやすくて、自虐的な子のこととか。
「……嫌ったりしねえよ」
「……」
くしゃりと夜色の髪の毛をなでれば、少しだけ安心したように微笑んだ。
「……なら、いい」
「……」
「俺も、ネロの過去がなんでもいい」
「っ……」
「アンタが―――」
そこまで口にして、一度シノは唇を閉ざし、噛んだ。
また何かを言おうと、口を開いてはまた閉じる。
瞼を閉じ、何かを思うように少しだけ、顔が床に向く。
けれど、美しい紅玉の双眸はネロを見つめた。
自分とシノは違う。
シノの目を見るたびに、ネロは思う。
ネロとシノは似ている。
親に恵まれなかったこと。
最悪な場所に生まれて、誰かに拾われて、倫理感が育ったことも。
けれど、根本的な部分は違うとわかるのはこの眼だった。
きっと、シノは自分と違って、最後の最後まであきらめない。
誰かと分かり合えないとわかっていても、
一緒にいられないと知っていても、
シノはきっと、誰かを愛することをやめないのだろう。
手を伸ばすことを。
自分が愛されるに値しない人間だとわかっていても。
だから、ネロはシノの事を好きにならずにはいられなかった。
こんな、優しくて、傷つきやすくて、真っすぐで、必死に生きていて、目の離せない、生まれたばかりの赤ん坊のような愛しい子を、愛さずにいられる魔法使いがいるだろうか。
「オレも、アンタが好きだよ」
「……」
愛の告白でもなんでもない。ただの『好き』。
それでも、真っ直ぐな言葉に心臓は跳ねる。
まだ生きていろ、と感情が動く。
脳みそは、死ぬ時を疾っくの疾うに決めているというのに、感情は生きろと囁くのだ。
少なくとも、目の前の子は、お前のせいで泣くのだと。
シノ・シャーウッドのために生きろ、と。
でも、そんなの、シノを理由にして逃げているだけだ、と理性が感情を殺す。
「……そりゃどうも」
そっけなく言えば、シノはそれ以上は聞かなかった。
仕方ない、シノの手を握るのはヒースクリフの役目であってネロじゃない。
だから、これでいいのだとネロ
は自分に言い聞かせた。
「……ネロ」
シノの薄桃色の唇が名前を呼んだ。
600年以上生きている魔法使いと、17歳の魔法使い。
余りにも年齢差がありすぎて、もしかして、なんて思うのも馬鹿らしい。
それでも、ネロはシノともっと早く生きられたら、シノともっと早く出会っていたらと思ってしまう。
ありえないことでしかないのだが。
「……シノ!」
シノが何か言おうとした時、らしくもない声の主が大声を出した。
「ヒース」
シノはなんでもないように自身の主君の名を呼んだ。
「あ、えっと……ごめん、ネロ」
「いや、いいよ、どうかしたのか?」
「う、うん……その」
ネロに謝り、それからヒースクリフはシノを見た。
「どうした、ヒース」
蒼玉と紅玉が見つめう。
ヒースは少しだけ考えて、そして、
「シノ、借りてもいい?」
ネロに尋ねた。
「どーぞ、ってか俺のモノじゃねえしな」
ネロがシノに目くばせすれば、「ああ」といつも通りシノは頷く。
「オレはヒースのものだからな」
「またそういう……」
飽きれたように言うヒースクリフの調子はいつも通りだった。
これなら大丈夫だろう、仲直りできるな、と思い、シノの背中をそっと押してやる。
「あ」
するとシノは足を止めて、困った顔をした。
「シノ?」
「しまった、花束を用意してない」
「……」
仲直りの花束は二人の儀式のようなものだった。
ヒースクリフはその言葉にくすりと笑って、
「いいよ、今日は俺が悪いから」
と言う。
「ヒースに悪いところなんてない」
「あるんだよ」
「……」
シノの手を握ってヒースクリフは歩き出す。
「シノ」
「どうした」
「俺、おまえに話したいことがあるんだ」
「……」
「聞いてくれる?」
「ヒースの望みならなんでも」
「……ありがとう」
やがてネロから二人は離れていく。
それは2人と自分の人生を表しているようだった。
少しの間だけ一緒にいて、そしてやがて別れる。
それが正しいのだと解っている。
2人の影すら遠い。
これで今回はお役御免かな、とネロが思っていると、
「……何やってるの?」
「おや、ネロ」
「あのね、告白の場面を見に!」
「……は?」
何故かこそこそしている西の魔法使いたちがいた。
「ムル。それじゃ解りませんよ」
「うわ~、やっぱりよくないんじゃない?ヒースとシノの告白現場を見るだなんて」
「は?」
告白?と聞いて、ネロはいや、さっきまで喧嘩してましたけど、とつい脳内で突っ込んでしまう。
しかし、余りにも驚きすぎて言葉に出ない。
「ふふ、実は最近、シノに好きな人が出来たときいて」
「……」
「その相手がヒースクリフだというもっぱらの噂でして」
「……へ、へぇ…」
まぁ、シノが好きな相手といえは確かにヒースしか思いつかないよな、とネロも思う。
それくらいシノはヒースクリフのことを大事にしていたし、日ごろから一番好きだと公言していた。
だから驚きはない。
ない、が―――
「あんたたち、まさか覗くつもりじゃ……」
「や、やっぱり、いけないかな?いけないよね!」
「あはは、イケナイコト!でも、おもしろーい!」
「ダメだと言われたら、それこそ興味が注がれてしまうのが西の魔法使いですから」
「2人の愛の行方が気になって」
「……」
これだから、西の魔法使いは。
本当はどうかは解らないが、このままではシノとヒースクリフの仲直りがすべて台無しになってしまう。
ネロは可愛い二人が大変な事になっては困ると判断した。
何かあれば、それこそ本当に告白なんてことになったら、この西の魔法使いたちがハチャメチャにすることを止めなければいけないと決意した。
「それじゃあ、しゅっぱーつ!」
「ちょ、ちょっと待て」
「はい?」
それが、間違いだったなんて、知る事になるのは、少し未来のお話。
「俺も一緒について行くわ」
「……」
「……」
魔法舎の中庭に噴水に座り、シノはヒースクリフの言葉を待つ。
「……」
ヒースクリフは気付いていないが、何人かの魔法使いがいることは気付いていた。
リケにアーサー、カイン……あいつら暇なのか。
ミチルやルチルもいる。
魔力や気配を殺してるヤツも何人かいるな、とシノはぼーっと考えていた。
「おい、ヒース」
「……ごめん」
ここじゃなくて違うところに行こう、と言う前に呟かれた
「……は?」
「変な態度を取っちゃって……」
「……」
主君が話を切り出し始めたらもう仕方ない、とシノは割り切った。
「別に気にしてない」
「……」
「ただ、オレがなにかヒースの気に障る事をしたのか」
「違うよ」
「なら、何が原因だ」
温かな風が頬を揺らし、シノの前髪が遊ばれた。
ヒースクリフの言葉を待つ。
急かせばきっと意味の無いと解っていた。
かつてブランシェット城でもこうして中庭の噴水の前で話した。
賢者に話した、ヒースクリフを泣かせるようなことも、その日に会った事も、森で見つけた花や動物を見せたり。
二人はそうして友達になっていった。
でも、肩を並べるには余りにも生まれも育ちも違う。
だから、強くなって、並び立てる人間になりたい、そう思っていた。
けれど、最近解らなくなってきた。
ファウストやネロに会って、色んな事を知って。
強くなりたいという気持ちも、自分を証明したいという気持ちも変わっていない。
でも、本当に、戦う以外にも、何かやるべき事があるんじゃないかと思った。
戦いをして、勝者になってもファウストは幸せそうじゃない。祀られても、多くの人に慕われても、後悔しているようだった。
じゃあ、戦う事から逃げれば幸せになれるのだろうか。
ネロのように人間に紛れて生きれば幸せなのか。否、違う。
だって、あんなに苦しそうに笑う事が幸せだなんてシノには思えなかった。
ヒースクリフも、
ファウストも、
ネロも、
優しい魔法使いが、損をする。
この世界の仕組みはおかしい。
でも、どうしたらいいのか解らない。
大切な人に笑っていて欲しいだけなのに、胸をはって生きて欲しいだけなのに、この世界は残酷で、歪んでいて、醜くて、辛い。
だけど、シノはこの世界だからこそ大切に会えた。
綺麗で、優しくて、眩しくて、尊い存在に会えた。
「……聞いたんだけど」
「何をだ」
「シノって、」
鈴を転がすような美しい声が言葉を紡ぐ。
ヒースクリフに会ってから、シノの世界には音楽が鳴り止まない。
雑音だらけだった世界で、綺麗な音に会えた。
彼の存在は尊くて、ブランシェット家はシノにとってまさに神様だった。
「好きな人がいるの?」
絶対的な存在が、俗っぽい事を聞いた。
「は?」
余りにもくだらなすぎてシノは眉を顰めた。
「……」
「あ、あの、シノに好きな人がいるって聞いて!それが気になって!」
「……ヒース」
「うん…」
「そんなくだらない事で悩んでたのか」
「く、くだらなくなんてないだろっ……」
「いや、くだらないだろ」
一瞬、お前は西の魔法使いにでもなったのか、と思わずにはいられない。
「恋バナで落ち込むだなんて、ルチルとクロエじゃあるまいし」
「そういう言い方ないだろっ…!」
小さくどこかで「まぁ」「うっ」と聞こえた気がした。
お前ら、覗いてるのか、とシノは冷静に脳内で突っ込む。
「それで、オレが好きな奴が出来たから気になって悩んでたのか」
「……」
「可愛いな、ヒースクリフ坊ちゃん」
「か、からかうなよっ!」
真っ赤にして怒る様子にシノは破顔した。
さっきの落ち込んでる顔よりもずっといい。
主君を悩ませるのは従者の仕事ではない。いつだってヒースクリフには笑ってて欲しいのだ。
「……それで?」
「……」
「それで、オレに好きな相手がいるかどうか聞きたかったのか?」
「……そうなんだけど、そう、じゃなくて」
シノは唇の端を上げて、からかうようにヒースを見る。
太腿に肘をつき、頬杖をついて下から見上げる様子はいつもと違って17歳の少年らしいあどけなさだった。
ヒースクリフはシノの態度に少し考えて、まるで友達のような、二人の雰囲気に『恋バナ』を続けていく。
「その相手って、」
だから、せいぜい、誰か聞きたがるだけだろう、と思っていた。
ただ、意外だったのは、シノが思った以上にヒースクリフはシノの事を見ていた事だった。
嬉しい誤算なことに。
「――――ネロ、だよね」
そよそよとした風が少しだけ強くなる。
温かかった筈の風が少しだけ冷たくなったように感じた。
紅玉の瞳が、少しだけ驚いたように大きくなった。
「噂を聞いて、シノを見てて思ったんだ。なんとなく、ネロにだけは違うように笑うと思って」
「……」
「いや、具体的に言えば、俺への表情とか、ファウスト先生への表情も、他の人とは少し違うんだけど、でも、その……上手く言えないんだけど、」
ヒースクリフは言葉を言い淀ませる。
けれど、必死で伝えたかった。
逃げられないようにしたかったのかもしれない。シノに、誤魔化されたないように。これ以上、嘘を彼が吐かなくて良いように。
「……なんとなく、ネロのことがああ、好きなんだなって思ったんだ」
もう感覚的な話になってしまった。
ちゃんと根拠を示したいのに出来なくて、でも伝わりますように、と祈った。
ヒースクリフはシノを見た。
なんて言われるだろうか、と思っているとあっけらかんとシノは口にする。
「なんだ、気付かれたのか」
「……お前…」
「別に隠してたわけじゃない」
「お、教えてくれなかったじゃないか!」
そこまで言うと、シノは肩を竦めた。
「仕方ないだろ」
「何が?」
「お前、知ったら絶対に気を遣って、協力しようとするだろ?」
「え……」
そこまで言われて、思っていた事と違った。
しかし、言われて見ればそうだ。
カインやクロエ、ルチルに好きな人がいたと知ったらきっと、協力しようとするだろう。
でも、シノにはそんな事は一切思いつかなかった。
「考えてみろ、4人でいて、ファウストも巻き込んでじゃあ二人ずつで別れようだなんて言われて見ろ、気まずいなんてものじゃない」
「……」
「それに」
シノに言われて、それはそうかも…とか、それだけの理由で言われなかったのか?などヒースクリフは考え込んでしまう。
そんな『くだらないこと』を悩んでるうちに、シノは空を見た。
美しい、空の色を。
「こっちは一生伝えるつもりはないんだ」
「え……」
「だから気を遣われたら困る」
愛しそうにじっと空を見るシノの姿は大人びていて、ヒースクリフの知らない人のように見えた。
「言わないって……どうして?」
「別に好きになってほしいわけじゃない」
ばっさりと言うシノにヒースクリフは目を丸くし、そしてふつふつと怒りがこみ上げてきた。
また、自分を卑下して好きになって貰える人間じゃないとか言うんじゃないかと思えた。
「じゃあ、どうしてほしいって思うの」
でも、その感情は、ヒースクリフを見たシノの顔を見て消えてしまった。
「……生きててくれればそれでいい」
空に融けてしまいそうになるような儚い笑顔でシノは言った。
「……そろそろ行くか、風が出てきた」
「シノは……っ」
立ち上がり、歩き出すシノに対してヒースクリフが叫ぶ。
「……」
「自分を好きになってほしいと思わないの?」
「……思わない」
「そんなの、」
そんなの、悲しい。
自分だったら、相手にも好きになって欲しいと思う。
同じモノを、同じだけ返して欲しいと思ってしまう。
それは、自分が恵まれてるからなんだろうか。
シノと自分の違いを見せつけられているようで、ヒースクリフはどうしたらいいのか解らない。
「悲しい、よ」
シノはヒースクリフの健全な精神が好きだった。
誰かを思い、誰かを愛し、自分も愛される。
一見自信なさげに見えるが、彼は当たり前の事を当たり前に出来る人だった。
そして、弱気に手を差し伸べ優しくすることが出来る。
シノにとって、これ以上ないほど自慢の主君だった。
「……」
本当は、どこが好きになったのか、とか、自分じゃ駄目だったのか、とか色んな事を聞きたかった。
けれど、シノが余りにも達観したことを言うモノだから、ヒースクリフは感情を吐露することしか出来なくなる。
ヒースクリフは健全で、優しい子だった。
だから彼は知らない。
シノが見えているものが。
ネロを望んでいることも、逝こうとしていることも。
それを言う事は憚れた。
ヒースクリフに解って貰えないと思っているからではない。
この中庭で暴露するには人が多すぎた。
「そうだな」
「っ……」
ヒースクリフには解らなくて良い。
死にたくなるほど暗い過去を持っている人間の気持ちなんて。
けれど、主君の気持ちを踏みにじれるほど、シノも悪い人間にはなれなかった。
「100年後」
「……え」
「100年後、お互いに生きてたらその時は告白してフラれに行くとするか」
「えっ、フラれるの、前提なの?」
「……アイツにはオレなんかより好きな相手が沢山いるからな」
「そ、そうかな……」
「ブラッドリーとか、リケとか、ファウストとか」
「……」
諦めたように笑うシノにやっぱり腹が立つけれども、ヒースクリフはそれ以上言えなかった。
弟のように思ってるのに、時折こうしていきなり大人になって、突然に前へと走っていく。
そんな幼馴染との違いが寂しかった。
「……生きてくれていればいい」
「……」
でも、本当に彼は望んでいないのだろう。
好きになってくれなくてもいいと、生きてくれていればいいと言う。
その祈りのような愛を、ヒースクリフは知らない。
「行こう、ヒース」
「うん」
自分もいつか、そう思える相手に会えるだろうか。
握りしめた手の温かさに、ヒースクリフは自分の傍にシノがいることに安心する。
そして、そのぬくもりに少しだけ泣きたくなったことは、誰も、自分すら気付かない、小さな感傷だった。
ヒースクリフ視点:2026.1.25、ネロ視点:1.26、シノ・ヒースクリフ視点:1.27執筆
凄く……長くなってしました……
でも、連作で一番書きたかった部分でもあります。
シノよりもヒースクリフの方が多分欲深くて、でもそれは彼が健全だからだと思います。
本当は最後にこの告白を聞いたネロ(とファウスト)の反応も書きたかったんですが、それを入れてしまうとお話が綺麗に終わらないな…と思ったので次の話に入れようと思います。次作で一応終わります。一端は。