みぎてひだりて

「礼生から聞いたんだ!」
 鼻頭まで花を咲かせたように真っ赤にさせて隼人はそう口にした。星を見に行こうとキラキラ光る瞳で見つめていた。
 旬は家の用事、夏来と四季は姉妹とデート、そうなると残るのはバイトのない春名だけだった。
「ハルナ、一緒に行こうよ」
「うーん、でもオレ興味ないし」
「……そっか」
 解りやすく落ち込む姿に胸が痛んだ。正直言えば、バイトのない日は身体を休める為に外出などしたくない。けれど、隼人はそうなると一人で星空を眺めるんだろうなと思うと自分まで寂しくなった。
「そっか、仕方ないね」
「……」
「ハルナも身体しっかり休めてね」
 寂しそうにしながらも必死で笑う顔に春名は自分自身に馬鹿と頭で叫んでから、「ハヤト」と声をかけた。
「…ハルナ?」
「ごめん、一緒にみよう」
「っ!」
 すると枯れた花が、みるみるうちに生命力を取り戻すかのように隼人は笑って、「ありがとう!」と春名に抱きついた。
「……で、どうするの?」
「えっと……」
 尋ねると、隼人が口にしたのは町外れの草原だった。都会なのにこんな土地があるのかと思えるほどに自然の残るその場所は人工的な光が一切なく、星を見るには最適だった。
 夜中といってもそこまで遅い時間ではなく見れるという事で春名は安心して、食事を取って隼人との待ち合わせの場所へと向かう。
 家を出ると肌寒く針の指すような痛みが襲う。春名はダッフルコートを纏い、冬場だからと心配してくれた母が作ってくれた帽子を被っていた。
「ハルナ!」
 隼人は春名を見ると顔をあげて軽い足取りで近くへと寄ってきた。春名と同じようにダッフルコートに何故か羽毛で作られた耳宛をつけて、赤いマフラーをつけていた。
 二人はバスで乗り継ぎ、草原につくと適当な場所で腰を下ろして大きな布を二人で被った。隣にいる隼人を見れば、今か今かと星空を見つめている。
「……」
 隼人の事が好きだと思ったのは何時頃だろうか。
 一人で生きていくんだと決め付けて、ここまで生きていた。誰かに頼ることはしても、甘えることはしない。
 自分だけの足で立ち、生きていけるだけの強さを。そこには母親が苦労しているのは自分のせいで、自分さえいなければもっと楽な暮らしが出来るだろうにという気持ちがあったのは否定できなかった。
 留年の危機に陥り、一時的な止まり木として訪れた軽音部。初めは本当に特に深入りするつもりはなかった。
  ましてや思いを残すことなどないと。仮面を被り、適当に相手と接する。持たれ持ちつの関係。それでいいと思っていた。
  最も新入生であるという嘘はすぐにバレるもので、結局春名は二留していて、隼人たちよりも二年年上であるという事を伝えた。
「そっか、それでバイトしてるの?」
 初めてきたときにいつ来れるのか尋ねられて、バイトの事は伝えていた為、早とは納得したように頷く。おそらく学費のために働いていると察したのだろう。 「まぁ、それもあるけど……」
「うん?」
 話した理由は特にない。しいて言うなら気まぐれだった。相手も聞いたところで何も思うことはないだろう、と。
「単純にうち、お金がないんだよね、留年したのはオレが馬鹿だからなんだけど」
「そうなんだ」
 内心、幸福な子供にはわからないだろうと思っていたのかもしれない。片親であることを伝えなかったのは負け惜しみか、お前に苦労がわかるわけがないと思ったのか、あるいは幼い頃に同級生から散々馬鹿にしてからかわれた記憶故かは春名自身もわからなかった。一瞬にして人の見方が侮蔑に変わるあの瞬間は何度見ても嫌なものだ。たとえ相手に何を期待していなくても。
「オレに、何か出来ることある?」
「いいよ、ありがとうな」
 口ばっかり。お前も結局いつもの奴らと一緒だと思っていた。今思えばおそらく心が荒んでいたのだろう。秋山隼人が今まで付き合った女や仲間と同様だと思っていた。ギブアンドテイクの利害だけで成り立つ人間だと。
 秋山隼人を勝手に判別して、蔑んでいたのは他ならぬ自分だった。
「あのさ、ハルナ」
「うん?」
 そんな自分の悪意を知らず、隼人は太陽のような笑みを浮かべていた。隼人の温かなぬくもりが、春名の冷え切った手に触れる。驚いて顔をあげれば、憐れみなど一切ない、ただ慈愛と憧憬に満ちた瞳が春名を見ていた。
「オレさ、あんまり色んなことできないけど、でも何か出来ることがあったら言って」
「え……」
「これはオレの我が儘だけど、ずっと皆でバンドやっていきたいから。だから、本当に何か出来ることがあったら小さなことでも言って」
 小さな口が諭すような声で春名に語りかける。改めてみた隼人の顔。
 正直いえば、隼人の顔はけして整っているわけではない。
 軽音部の中でも事実一番もてていない、恋文を受け取ることはおろか、女性から話しかけられるすらないという。
 しかし、春名の目から見た秋山隼人はこの世の誰よりも綺麗だとこの時、心から感じた。
 新緑の髪が陽光に当たり、天使に見間違うほどの微笑を浮かべて、一重の意思を持ったアメジストの眸は今まで見たどの星よりも鮮やかに煌いていた。
 風に髪の毛が靡くたび、呼吸するたび、ふくよかな頬が少しだけ揺れる。ひとつひとつの動作から目が話せない。
 そして、春名は隼人に見つめられると自分がすこしだけ綺麗なものに、尊いものに近づけたような錯覚を覚えた。
 白と黒しかなかったモノクロの世界の中、静かに種が芽吹き、オレンジ色の花が咲き誇る。
 長く長く雪で覆われていた世界は静かに雪解けを告げ、春が訪れた。隼人に近づくたびに、世界に色鮮やかな花が咲き始める。
 灰色の空は青空へと変わり、茜色から夜空へと、そして夜明けを迎えてまた新たな太陽と出会う。胸の中で温かなものが芽生える。
 春名は隼人の隣にいるだけで、傍にいるとなぜこんなに世界が綺麗に思えるのか、眩しく思えるのか初めはわからなかった。
 胸の鼓動が早くなる。早く会いたくてたまらなくて、早く朝が来ないかと思った。
 夢の中で出てきて、目覚めるといなくて寂しい思いをした夜は一度や二度じゃない。
 時に、人に言えないようなことを強引に行う夢すら見た。その度に隼人を汚しているようで申し訳なく思った。
 それでももっと近づきたい。
 傷ついても、心が傷ついてもいいから、触れて、抱きしめて、それ以上を求めるこの欲望を何というのか解らないほど無知にはなれなかった。
 こんな風に自分が誰かを思う日が来るなんて思いもしなかった。自分の身には過ぎた幸福を隼人は与えてくれる。
 このもどかしいほどに伝えきれない思いをどう伝えたらいいのか解らない。けれど、その度に隼人は春名に触れてありふれた言葉でいいのだと教えてくれるのだ。



 ありがとう、すき、たのしい、ごめんなさい、



 そんな子供でもわかる言葉。でも、きっと隼人に会うまで春名は本当の意味が解らなかった。
 こんなにも相手に伝えたいものがあるんだなんて何も知らなかった。隼人を幸福にしたい。自分にくれた少しでも返したい。
 それは一生をかけてでも成し遂げるべき春名の夢であり、唯一胸を張っていえる立派なことでもあった。
「ハルナ、見て!」
「……っ」
 そう思っていると、隼人は張るなの腕を引いて真上を見るように口にする。
「ほら、願い事言わなきゃ!」
「え…?」
 願い事、と言われて春名は戸惑う。
 何せ、自分の願いはとうに叶っている。
 隼人の傍にいられること、彼の笑顔が見られること、high×Jokerにいられること、何もかも春名には勿体無すぎるくらいの幸福。これ以上を望むのは不相応だというほどに。
「……何も、ないの?」
 反応のない春名を見て感じ取ったのか隼人は首を傾げて春名に尋ねる。
「……うーん、無事に卒業するくらいかな」
「……」
「ハヤトは女の子にモテたいとか、ギター上達したいとか色々、あ…」
 ごまかすように話す春名の頬に隼人の手が触れた。
「ハヤト?」
 夜空の星よりもずっと美しく、春名を捕らえて離さない輝き。はにかむように隼人は微笑む。春名の顔が数センチずらせば、隼人の唇に触れるほどに近くで見つめられていた。
「卒業してから、は?」
「オレ、は……」
「何もないの?」
 隼人の事が好きだから、ずっと一緒にいたいと訴えれば、隼人はなんて返すのだろうか。嫌いになるんじゃないかという迷いが心の中に揺蕩う。
「特に、ないかな」
 結局、迷って迷って春名は口を噤む。アメジストがペリトッドを覗き込む。穏やかな色が曇り、悲しそうな顔をしていた。
「ハルナ」
「ハヤト」
 それから隼人が意外にも大きなその掌で春名の顔を上に向かせる。両頬を包むぬくもりはあの日と同じように温かなものだった。
 アメジストに瞼が下がり、それから祈るように隼人は春名の額に自分の額をくっつけた。
「そっか、じゃあずっと祈ってるね」
「え…?」
「ハルナの夢がみつかるまで、ずっと
「……」
 それから顔をあげて、隼人は笑った。春名が愛してやまない、太陽のような笑顔で。
「……そして、ハルナが叶えたい夢が出来たら、教えて?」
「……ハヤト」
 そんなもの願えるほど、春名は立派な人間じゃない。今の生活だって幸福すぎておぼれかねないというのに、隼人はそれ以上の場所へと春名を導こうとしてくれる。
「それまでずっとハルナの傍で見守ってるから」
「ハヤト……」
「約束」
 笑って、小指を立ててはにかむ隼人を見て、自分の重いが溢れ出したのが解った。
「……ああ」
 春名はごめんと心の中で謝って、隼人の事を抱きしめた。それから、ゆっくりと自分の唇を隼人の柔らかな赤い唇に落とした。


 ―――隼人が好きだ、この世界でただ一人。


「……は、ハルナ!?」
「……口止め料、恥ずかしいから喋ったらオレもこのことはなすからな~」
 誤魔化すように春名が言えば、隼人はからかわれたんだと思い込んで、頬を膨らませて怒鳴る。
「は、ハルナ…ひ、ひどい!ずるい、オレのファーストキス~~~」
 ごめんごめんと謝罪しながら春名は再び隼人を抱きしめていた。上を見上げれば幾つもの星がアーチを描いて煌きだす。
「……」
 その星を見て、春名は祈った。  


 ずっと、一人で生きていけるだけの強さがほしかった。でも、今は――目の前の人を守れるだけの強さを、そしていつか好きだといえるだけの勇気がほしかった。